(途中の話)

SHINE MAGIC
運命って言ったのは他の運命殺す為だったし、生きていることの全て邂逅しあえただけのことであって、その上観取しただけで相対する人の全てをその人とたらしめるその思考、そしてそこから生まれる行動は慙愧に堪えないことだなぁと思いながら、それでも飽きずに心臓を動かしているのはやっぱりどう考えても矛盾している。

昔よりはほんの少しだけ、伝えたいことを伝えようと、云う意思が芽生えて、全ては言葉遊びだけれど、そもそも伝えるということは期待に似ている。期待=信じるという事象の、始まりから終わりまでの全てが独善的で、他人の心に依る自分の心で他の存在を侵食するなんておこがましいこと、本当はしてはいけないのに。生きているだけで加虐と言った靖子ちゃんは本当に凄いなぁと思う。

意思や、思考という言葉を使っても人間は思ったり考えたりすることを意識的に辞めている人が多くて、辞めなかった人だけ立ち止まって動けなくなってしまう。呼吸しているだけの人間。きっと自分の脳だってもうツルッツルだ。

素敵な映画を見たからってシネマを出たら人生バラ色なんてことは滅多にないし、あったとしてもそれは、見せかけの気持ちで。ピンク色のトカレフが黒色に変わっても永遠を撃ち抜いて欲しいな、生きていけなかった世界線
生きるか死ぬか殺すかの中で息してる。
いつか変わるなんてことないし、2割がキラキラの生活で、6割が半々で、残りの2割が泥まみれで這いつくばる生活だとして、私は最後の2割の自覚があるし、生きづらそうだねという言葉をもらっても世界の割合がそうであるならば私はその役割をしっかり果たして、クッソ生きてやる(とは一ミリも思わないな笑)溺れていよう、と思う。輝くほど死ねと言われるくらいが生きてるって感じがしそうだけど私は輝いてもいないし死ねとも言われるほど生きてもいないから。
余韻ふわふわ続くのが幸せって限らないし、ヒリヒリしてる方が生きてる感あるしね。ホントは真っ当にまっすぐ生きてたいし正しいことを正しく行なっていきたいけど、わかってるのにね、わかってる上で自分という存在そのものが、悔しくって苦しい。死ねマジック。