逆光





みんなと同じになりたいと強く願っていた。
その、「みんな」はいつも変わる。



小さい頃ママが私に口を酸っぱくして言っていた
「人の気持ちを考えられる人になりなさい。」




私は人の気持ちがわかっていない人間なんだ。
と、ずっと思っていた。
一生懸命考えているつもりだったから。

人の気持ちがわからないのは、
みんなと違う考え方をしてしまっているからだ、
そしてとても冷たく、
酷い性格をしているからだ。
と、最近まで思っていた。



だけど、それを気にしすぎていたからか、
はたまた、人の気持ちがわからないのではなくママの思う通りに動けていなかっただけなのかはわからないけれど、
周りの人に、他人のことを考えすぎじゃないか?優し過ぎるんじゃないか?と言われるようになった。



専門学校に入ってから1番趣深いなと思った悪口は、「ちゆみって、人のこと褒めすぎててどう返して良いかわからなくってウザいよね」だ。
いとをかし。


高校生くらいのときかな、
覚えてないけど
私の中で、良いところはどんどん伝えた方がいいという気持ちが浮かんだ。
自分が褒められたくて褒めてる訳では全くない。(もちろん褒められるのは素直に嬉しい😊)



だって伝えられなくなって消えてく言葉なんて勿体ないでしょ。
好きなら好きって言った方が絶対いいでしょ。愛は愛を持って伝えたいでしょ?

でもそれは相手の立場も考えて言わなきゃだから難しいのだろうけど、人間関係の1番重要なのはそこだよね、、、





なぜか年をとればとるほど自分に「共感力」が強くなってきていると感じる。

大抵なら
いろんなことをもっと流せるようになったり、大切とそうじゃ無いを分けられるようになるのだと思うけど、私は真逆で。


小さい頃はドライで、どんなに泣けると言われる話を聞いても泣いたりなんてしなかったのに、
今じゃ誰も泣かないようなところで
勝手に涙が出てきてしまう。


こないだも弟が見てたポケモン映画(きっと去年の)で
サトシがピカチュウを守り消えてしまうところでボロボロに泣いて笑われたし、


今は毎週、グッドドクターと透明なゆりかごで泣いている。
泣きたくなくても泣いている。


だから共感力については自覚がある。
自信はないけど。


それは人の気持ちを考えるにつながる。
もちろん全部わかってるわけなんて120%ないし大切な人になればなるほどわからなくなることの方が多い。親友とか。でも自分なりのわかるで分かりたいと思う。諦めたくない。

だけど、こんなのを共感して欲しいってのはあんまり思わない。なんでだろう。





人が思うより強い光でありたい。
明るい光でありたい。


綺麗でいたいと思うから、綺麗なものに触れたい。だから選んだ今の道。



私は底抜けに根性の女だ。
根性論が大好きだ。
だからって根性論を好きになれとか全く思わない。理性的な私の部分は根性論を否定してる。

人には多面性がある。



わかると思うわかるはその見せてもらえた部分についてだけだ。



叶えられるのは頑張ったことに対してだけだ。





例えば「痩せれば綺麗になる。」というのも痩せるためにしたことが綺麗につながっただけで痩せたからといって綺麗になるわけじゃない。


ご飯を抜けば綺麗になるか?

ご飯を抜けば痩せられることもある。
というか物理的に痩せるだろう。
でもそれが綺麗かと言われると別の話。ということ。



痩せるために運動して食生活を変えたら健康になって、
肌やスタイルが変わって綺麗になっただけ。

そうなると他の部分も綺麗に見せようと頑張る。
他の部分にも結果が出る。
当たり前のこと。


頑張ってないことに結果が出るわけがない。
結果を出そうとしないと結果はでないし、
ワンチャンのプラスアルファなんてまぐれで脆い。



こんなに頑張ってるのに幸せになれないみたいなのってなんか違う。頑張ってることにしか結果は出ないから全部がうまくいくわけない。全部上手く行きたいなら全部頑張れよって思う。



笑顔の周りに笑顔が集まると思ってる
批判すれば批判が返ってくる
悪いことした分だけ悪いことが起こると思うし
いい事と悪いことは人生でフィフフィフだと思ってる。

でも全部反対のことも考えるし思ってる。


だけど私はみんなに嫌な思いさせて生きるなんて絶対に嫌だから、まぁそれは自分が傷つきたくないだけなのかもしれないけど、
できるだけ明るい光でいたい。



外ではニコニコする。
人の良いところはいいねって絶対言うしみんなの良いところ絶対知りたい。
友達にドン引きされるけどどんなお店の人にもどうもーって言う、だって自分はありがとうって言われたらすっごく嬉しいから!

でんぱ組のえいたそばりに昔より明るくなった。ポジティブかと言われれば違うけど。





でも、その明るさも一生懸命さも、光が強すぎると影も濃くなる。し、逆光で見えなくなる。

光りたいと思わない人たちと同じ光にすることができない。

逆に言うと昔はできたのだ。ドライで共感力がなかった頃の方が。
引っ張り上げるなんておこがましいことをしたいわけじゃないけど、温度の違いは気持ちのライトの明るさの違いだなぁと思うことがある。


頑張れば頑張るほど、他の人たちとは相違する。相対する。光を強くしすぎると見えなくする、それが感じられる。また明るくする。暗くなる。
就活してるとそう思えるの。



私が意志を持って動けば動くほど
意志を持たなかった子たちが暗くなる
引っ張られないように明るくなると
もっと暗くなる。


自意識なのかもね、と思うけど。
自意識にならないと周りも見れないよ。
すぎるのはどうかと思うけどね。

それでも私は強い光でいないといけない。

そうでなければならない理由もある。
いつか話すね。多分。全然逆方向の話だけど。笑


これは決意だ。忘れてはいけないことを忘れないために思い直した決意だ。


ねぇ、こんな人、見たことある?
私はない。
なんでなのかな、なんで私みたいな人って私の周りにはいないのかな。


こーいうひとはこーいうひとです。みたいな奴、あるじゃん。絶対に裏切ってあげるよ。


おうし座のAB型の左利き、それだけでそんなにおんなじ人っていないのに、こーいうひとってあーだよねみたいなの、絶対当てはまれないの知ってる。

だって私は私だから


だから私もみんなにそれ当てはめるのやめる。
みんなはみんなの人生だもん同じ道なんて歩いてる人いないんだし。



一緒に光りたいね。
光れなくてもいいよ私が照らすから。

光になる力が欲しいよ。自家発電できなくはないけどさ。


ほんとは弱いんだ、でも弱さだけじゃ生きていけないからもう見ない。もう捨てた。




毎朝、朝に絶望して天井が嫌いになるのはもう終わりにしたい。


ゴミはゴミ箱に入れてたけどゴミステーションに出しましょう。私はもう私でいていいよ



汚れたままじゃ光れない。



愛は愛だ。光は光だ。



みんなと同じになりたいです
何も語らず。

でも、私は私で。


だから、
次の扉を開きたい。

君は悪魔か少女になって

[


心が洗われる


私がディズニープリンセスの中で一番好きなプリンセスは、アリエルです。
なぜかはわかりません。
物心ついた頃から1番惹かれていたのがアリエルでした。それだけです。理由なんて。

もちろん今はどのシーンのどこが好きだとか、あります。でも、そう言うことじゃないんですよ、上手く説明できないけど。





愛や恋に理由をつけるのをやめたらいいんじゃないかなっていろんな人を見てて思いました。


身体を重ねたから、愛だとか
付き合っているから、愛だとか
あの日目と目があったから、恋だとか

でも人間、なぜ?と言うものが気になってしまう物だよね、そうじゃないと安心できないし、理由がないものなんて不安定でしかない。


歳を重ねてついた力なんて、たかが知れてる



スペックとか容姿とか自分にどう利益をもたらすのか、とかそう言う打算的な考えをしてからじゃないと進めなくなったのはいつからだろう。


失敗しないように、無駄な遠回りをしないように。間違えたら死ぬのか?ってくらい臆病になっただけだ。周りも。

それは、昔からかも知れないけれど。


よく考えたら、もっと義務教育の頃とかは
好き なことに対して何も考えてなかった気がする。正確に言えば、その時の私なりの頭で考えていたんだとは思うけど、今の観点とは違う視点から見て考えていた。

それは、生活に責任がなかったからかもしれない。
でも、好き に素直だった。


好き だから伝える




好き だからということが理由で
1番の動機で。



だけど、今は、好きの前に明確な理由がないと踏み出せない人が多すぎる。
それは私もなのかもしれないけど。わからん。


クズの本懐」という漫画に

興味のない人から向けられる好意ほど、気持ちの悪いものはない

という趣旨のセリフがある。



これを読んでいた高校生当時、私は、「モテる女の子ってこんなこと思ってるのかぁ、人から向けられる好意が気持ち悪いって思うんだなぁ」なんて呑気に考えていた。

だけど、今になると、そういうことを言ってるんじゃないと思う。


興味のない人から向けられる好意そのものが気持ち悪いんじゃなくて、興味のない人から告げられた好意が気持ち悪いんだと思う。


興味の無い人=その人にとっては視界にすら入ってない人 なのに、
好意を告げるという行為自体が
まず必要なコミュニケーション(その人の生活コミュニティに登場し、相手を知るということ)をすっ飛ばしているし、
第1、相手の気持ちを考えるという作業すら怠っているのにも関わらず、名前のついた関係を求め、責任を持たせるなんてとんだ無責任だ。

それなのに、望みがあるという考えに至るその思考が理解できなくて気持ちが悪いし、その責任のなさも気持ちが悪いのだろう。考え方と価値観の違いが、興味の無い人に繋がってくる。その違いはその行動を取った時点で埋められないような気がする。



しかし、しかしだ。
それでもどうしても好きなら、
全て捨ててもいいくらい好きなら、
そのすっ飛ばした過程を1からやり直してでも、その人の手を掴むべきなのでは?と思う。

価値観の違いは埋められなくても歩み寄ることはできるから。

本当に好きなら、好きで好きで苦しいなら、
君があの子と幸せになれる道を選びたいって思うなら、しっかり自分の気持ちに真摯に向き合って、責任を負って、踏ん張って、その人の手を掴むべきだよ、と思う。




それは女の子も、男の子も、みんなおんなじで
追われる方が幸せとか、追う方が幸せとか、知らんよそんなの、好きだから、で飛び込めよ。
あとのことは後から考えよう、上手くいくように道を開拓してこう。
ダメだって思ったら、私のところにおいでよ、
話ならいつまででも聞くよ。








親友たちに好きな人が現れたらしい。
素敵なことだし、綺麗なことだ。
この先
悲しんだり、辛い思いを一方的にしてるのは、見たくない。
だから、みんなの好きな人は、それなりの責任を持って、私の愛するみんなと接してね。



お互いが泣いたり、悲しくなることは必要だし大切だと思うけど、泣かせたり辛い思いをさせっぱなしにするんだったら、容赦ないからね。
私が攫っていくから。愛にも恋にも覚悟と責任が必要なの、それを背負って愛してね、


こんなこと、ここで言っても届かないけどさ。

最後の 最後の 花火が終わったら

あの頃、どんな曲を聴いていたかなんて
忘れてしまうほど、
毎日を繰り返し、繰り返して

それでも、忘れられない
風景が、
一瞬が、

きっとあなたにも、わたしにも。





そんな日のことを書きたいと思います。







17時の鐘で
「さよなら」と手を振りあっていた仲間と、
17時にいつもの坂の下で、と数年ぶりに会う約束をしていた。夏祭りの日だった。


まだ大人でもなければ、子供と言えるほど子供でもないわたし達は、あの怖かった先生はどこに行ったとか、後輩が何をしているとかそんなことを話しては、驚いたり、変わったねと笑ったりしていた。


わたし達が一番変化していたんだ。
今はもう知ってるみんなじゃないって
本当は気づいてたのに、気づかないふりをしていた。
みんながみんな、お互いに。



小さな町。大好きな町。
海と山に囲まれた、坂の多い町。

ここだけ時計が止まったみたいに、
とっても静かな町だった。




だけど確かに、
喜びも悲しみも、
楽しさも辛さも、
全部この場所で知った。


あの頃のわたしたちは、この町が全てで。


だけど今は、
離れていても、戻って来れる町が、この町なんだ。


昔のようにバカみたいなことをして笑ったり、時にはこの先どうするの?って真剣になったり、その全部がわたし達が少しずつ大人になっていることを実感させたけど、町も、みんなも含めて好きなんだなぁとか、考えて。





ふと、軽トラックが横切った。




軽トラの荷台、私は目を離せなかった。







君がいた。






どんなに人がいても、目が合ってしまった。
ほんの数秒だったのに、目が合ってしまった。





もう、会わないと思っていた人。
もう、会えないと思っていた人。








「どうしたのー?」


「ううん。なんでもない」



この町に残した君との記憶は
全部、全部消せなくて、消したくなくて。

最後になるなんて思ってなかった最後を悔やんでも悔やみきれなくて。


全てが遠くなって、夢だったんだって思うくらい、一生会えないと思っていた。


それくらい、私達の時計は進んでいると思っていた。

なのに、なのに。





あー、好きだったんだなぁ。

と、君に背を向けた。












あれから、あの町の花火を見る機会はなかった。

きっとこの先も、無いのだろう。
私のすべては、ここだけじゃ無いから。






同じ空を、見てたんだね。












LINEモバイルのCM、良いですよね、
なんだか聴いたことがあるなぁと思ったら、昔からある曲だったと知って。
夏はなんだか切ないな、


今年の最後の花火は、いつになるんだろう。

そのぬくもりに用がある





ひどく残念に思いました
と言うのも全て後の祭りです。

バカな自分が嫌になりました。
私が悪かったところはなんだったんだろうとか、
色々考えてみたり、
罵ってみたり、
消してみたり、
地に落ちてみたり、
全てを愛してみたり、
いろんなことをしてみたけれど、その全てが滑稽で、儚い夢のようでした。




自分の気持ちに素直になって文章を綴って良いのなら、



私はやはり負け犬で、

とても馬鹿で、

悲しい思いと損な役回りを自分で選んで生きているのだろうと思っています。


切なさとか悔しさとか悲しみをこうして吐き出すことでしか自分を確かめられないところも認めた上で書いています。

全てが全てそのまま伝わらないのはわかっている、誤解も語弊もあるのだろうけれど、たくさんの人に嫌われてしまうかもしれないけれど、これだけは気づいてしまったのでやはり、自分のためにも記そうと思うんです。


私には身体がある カルチャーじゃない

この言葉を、私は盾に使っていました。
しかし、私はカルチャーでした。
少なくとも一部の誰かには、カルチャーでした。
女の子、と言うカルチャー。私、というカルチャー。

自分で言うのもなんだけれど、破茶滅茶な毎日を送っていて、何かに括られるような、型にはめられるような生活を私は送れていません。

したくてそんな生活をしているわけではなく、私はひっそりと周りと同じような生活を送りたいと切に願っていますが、どうにもこうにもならないのです。
たとえば、指をミシンで縫ったり、車に轢かれたり、飛行機に乗り遅れたり。

気をつけて生活、というか平穏に暮らしたいという気持ちは人一倍あります。
だけど不可抗力で立て続けにこんなことが起こるので、自分で言うのもアレなんですけど、ドラマみたいにドタバタな生活を送っています。

その度に自分の根性や気合いで前を向いて歩いてきたつもりです。


それでも、私は唯一無二にはなれませんでした。(正確には、そんな言葉を信じ切ってしまって、勝手に喜んだり傷ついたりしただけなんですけど。)

カルチャーとして消費され、コレクションの1つになっただけだった。最初から。

それすら気付かずに、馬鹿だなって、馬鹿なんです。






信じるという言葉を、私の言葉で説明するならば、

君や物事が
今、目の前に見えている君、事である
ということを願うこと

だと考えています。近い簡潔な言葉だと期待ですね。


相手ありきの言葉のように見えて、本当は1人で完結しているのです。

自分を信じる、という場合でも、そこには、願う自分と願っている自分、がいる。しかしその全てが、願っている自分が抱く幻想、そうなると強く願う自分であり、とてもひとりよがりで、エゴの塊な言葉だなと、思います。



だから、信じるという言葉は、時や場合にもよるけれど、私にとってとても苦痛なものでした。
これを信じるハラスメントと呼んでいます。


信じる、という言葉の圧が強すぎる。
変に受け取りすぎなのかもしれないけど、
信じてるからね、と言われると、その信じられている私になれるかどうか不安になってしまう。
そうなろうとしすぎてしまう。


そして同時に、
現状は
相手がそうであってほしいと願っている私ではない
(相手にはそう見えていない)
ということも証明されるわけじゃないですか。



その圧が嫌じゃない人になら信じられてもいいけれど、圧が負担になるくらい、
幻想を押し付け、精神的にも、物理的にも擦り減らす毎日は私から願い下げです。


そして、言葉は色々な力を持つことを
わかってほしいし自分でももっとわかりたい。


こんなことこんなとこで言ったって意味がないけどね、


こんなブログにたどり着いて、こんな文章(現在1600文字)を読んでくれる人はきっと酷い人じゃない。



わかってもらいたくて書いてる部分もあるけれど、
そうじゃないと思う自分がいて、
やはりこれが私らしい生き方で、変わっていても、おかしくても、狂っていてもそれが私。




吉村明美さんの「薔薇のために」、大好きな漫画。このことはまた書くかもしれないけど、こんなに素敵に純粋に感じられる恋も愛も、綺麗過ぎて何度も読んでいるのに涙が出た。

私の目は汚れていて、今思うと簡単にわかることなのに、わからなかった。
見えなかった。
私は汚い。
綺麗な心でいようとしていたけれど、叶わなかった。


いつか本当の素敵な気持ちに出会えるように、綺麗な心だけはもう絶対に捨てない。透明でいたい。


風のような女の子になりたいな。

とっ散らかった言葉をぶつけて困らせてごめんね

この写真ってもう使った?道に植えられてる花、ピンク色がとっても綺麗で撮っちゃった〜〜


作品発表会終わったら次は就活の続きだって意気込んではいるけど、楽しくバイトできてるの良かったなって思う〜〜、周りに感謝、出会いに感謝。

綺麗事ばかりでごめんけど、やっぱり一生懸命やってたらいつかそのことに関しては幸せになれると思うんだ。笑顔の人には笑顔集まるし。時々従業員褒め合う制度のやつで恐れ多くもランクインさせていただくことがあるけど、わたしへのコメント、殆どが笑顔とお客様に対する姿勢のこと書いていただいていて。誰が書いてくれてるのかはわからないけど、ありがとうございます。

学生で、女子で。頼れる人が最初はいなくて、教育とかもしてもらえなかった(今新しい人はめちゃくちゃしてもらえてて嫉妬した)から家帰ってからも勉強して。

頑張ったことをひけらかすのはダサいのかもしれないけど、でも、みんなも頑張ったことは素直に褒められるべきだと思う。

というか今新しく入ってる人めちゃくちゃ教育受けてるのは私が学生が辞めないためにどうしたら良いのかって聞かれた時に、「最初のうちは会社のために正しいことがわからないから動けないのにプレッシャーがすごい」って言ったからじゃんって今気づいた😰バカすぎだろ私😂

そんなこんなでうまい具合に解釈して今日も元気なわし。

平成最後の夏もまた前向きに成長してどんどん進んでくね、ごめんけど。



はーぁ。高校とか中学とかみたいに自動的に誰かに出会える仕組みがないから、人を好きになって恋をするってとても難しいなって思えてきた。。。

バイト先ではネタになってるから良いけど、、


同棲準備のカップルとか、子供づれの方とか、妊婦さんとか、可愛くて可愛くてしょうがないよ〜〜おばさんは〜〜😂


好きなものを好きでいていいまま、私が私でいていいのってとっても難しいのかな、それはそれで悲しいなー。


すごい仲良しの人はお金とか顔とか言う。
いやたしかにお金搾取され続けて苦しみを隠して笑うのはもう嫌だけど、、、

私は私だけじゃなくて周りの人の気持ちを考えて慮ることができるか、できなくてもそういう気概があることだけが願いだからやっぱなんか違和感感じるな〜〜。
でも仲良しの人がそれが好きなのは肯定する。ファッション恋愛だろうと好きなみんなが好きに生きられる世界になってほしいなって考えてる。


愛はカルチャーになりうるか?
感情はサブカル、現象はエンタメってタヒさんの言葉だけど、きちんと綺麗に愛したい、愛を知りたい。ファッション恋愛じゃなくて、きちんと良いところを宝物にして大切にしあって行きたい、それだけなのさ、





今、恋をしている人は
とっても綺麗だね、


誰でも良かったわけじゃないんだよねきっと。それもまた運命なんだよね、
彼女なりの人生だし、私は笑って聞いていよう。




私のこういう変なところ、(文章書いたりするのとか、感情の吐露みたいなのが壮絶なところとか、)あまり知ってる人には見せてなかったし見せたこともないけど、私ってやっぱおかしい?

誰か一人でもわかるーって思ってもらえたら御の字なんだ、おんなじ気持ちになってもらえなくても、ちょっとでも考えてくれたら本当に嬉しいんだ☀️

わかってほしいとか思わないけど、わからないとかちょっとどうかと思う。【クソカワPARTY爆売れ祈願雑記】



まずはこの@YOUTUBEさんからでもいい。とにかくご覧になっていただきたい。



ついに大森靖子ちゃんの、
クソカワPARTYが、リリースされた。

全部最高なのだけれど、特にこの、GIRL'S GIRLという曲が私的に一番だったので紹介させてほしい。そして、




一曲でも良いから、大森靖子の音楽を聴いてくれ


もちろん無理にとは言わない。
みんなはみんなの好きを好きに選んでいて欲しい。


ただ、あなたの4分と少しのデータ通信量を今、大森靖子ちゃんの音楽に使って欲しい。断言する。損はさせない。



「人生は〜可愛くないと〜〜生きてる価値なくない?」

「てめーが言うな、ブス」

「ちっ」

このセリフで始まるこの曲。
最初から攻めている。というか、かわいいを目指しかわいいを含んでいる女子の意表をついている。つきすぎている。

はじめに聞いた時、最後の舌打ちは、ブスと言われたことに対する舌打ちだと思っていた。しかし、二度三度、、、、、、10回なんてかるく越えるくらい聴いているうちに気づいた。

人生は可愛くないと生きてる価値なくない?
と言い放った彼女は、自分が相対的に見てブスなことなんて分かっているのだ。

「てめーが言うな。ブス」というのは百も承知。だから、可愛くないと生きてる価値ないって言い聞かせて奮い立たせて踏ん張って生きてる。そんなかわいさを何にも分かってない、ただ表面的な部分だけを見てヤジを飛ばす外野に、彼女は舌打ちしてるのだ。と思った。

あ、ここでいう彼女は大森靖子ちゃんではなくあくまで私がこの曲に感じた彼女だということをわかって欲しいとは思わないけど、わかんないとかちょっとどうかと思う👅






年齢的には大人になったって何も変わらないというか、完全 になれないのはこの間ハタチになった私が一番痛感していることだった。

法的には大人でも、まだ大人になりきれない自分の弱さとか、逆に持つ強さとか、そういうのも全部とりあえずみたいな自分で誤魔化してる。
私のとりあえずみたいな自分って、なんだろうって思った時に、やっぱり、根性で乗り切ろうとするところとか、しっかりしてるという周りの評価を笠に着て、しっかり「風」にやっている。

それを変えないと絶対私は完成しない。まぁ、かわいいは未完成の隙間だと思ってはいるのだけれど、完全に可愛くなりたい。というか、生き様を可愛くしたい。完成させて街を歩きたい。

そして、

んー、なんていうか、お前らの可愛いに当てはまりたいわけじゃなくて自分の可愛いに当てはまりたい。自分の思う可愛いを突き抜けたい。


それを誰かが選んでくれたらそれはそれで奇跡みたいなことだけど、私が気づいたのは私のような存在は私自体を殺さないと誰にも選ばれないということだ。殺るか、殺されるか。

私は誰のことも殺したくない。つーか、つまんねぇ。どいつもこいつもどうせ最後はそうなるんだから今できることをしようってそれ以外の大切なことねぇのかよ。(ごめんなさい、くりーぷ大好きです)って私は私を殺してまで選ばれたくはない。だって私が選びたい。


みんなのかわいいに当てはまらなくても良いんだー!というのはクソカワパーティの特設サイトでの我らが道重さゆみちゃんのコメントだ。


公道を歩けなくても、おうちからでれなくても、そうしたのはあなたじゃなくてみせかけの世界だ。あなたの世界を作るのは容易じゃないから、作り方を知るまでは誰かの声が怖くても仕方がない。

整形だって努力だと、思う。していないんだけど。可愛くなるためにいろんなものを使って、君の努力を踏みにじって良い人なんていないのにね。

指さされガールになるのは人がとやかく言うからだ他人の承認欲求否定しててめぇの平穏守ってんなよって言う。あー、全部私のことかも!なんて都合の良い解釈してしまって泣きそうだ





2ヶ月恋愛できないし、元の私には戻らない。

世界を愛してしまいたいから自分に愛着持ちたいな。


今の私が今の私で最高な面を下げてお天道様の下歩きたい。元の私どころか1秒前の私よりも今最高で最強になれるくらい私を愛したい。てか、私は私にしか愛せないくらい超越したい、全然わかってないやつらなんかに愛してるよ、なんて言われたくない。


なんでみんなそんな簡単に言えるの?何をもって私のこと好きなの?わかってほしいなんて思わないけどわからないとか、かなりどうかと思うし。わかると言う作業もわかりたいという努力もせずにお前らの型にはめんなよ。



逆を言えば、何をもって私のこと嫌いなの?って言う、嫌いの方が愛じゃない?わざと遠回りとかしてくれちゃう愛とか大好きだよ❤️
嫌いの方が良く知ってくれてるのかなって思う。

本音が過ぎる。


基本的に好きとか嫌いとか一直線上で誰かに超愛をあげたいとか思ったとしても皆平等にしてしまうんだから無意味だね

何が悪い。かわいいを突き抜けたいわたしだけの、何が悪い。

女に生まれたからってかわいいをいつか諦めるなんて絶対無理だ


わたしもママに諦めさせたり犠牲にさせたりしてるのかな?って思って、もしそうだったらどうしよう。。


でもママはかわいい。いつになっても。
それがママだ。パパにもずっと愛されてる。パパから愛をもらえる可愛さがある。

いいなぁ。


かわいく子育てしたって全然良い、かわいくなるために顔を変えたって良い、だって私たちが追い求めたかわいいの結果だ、努力の結果だ。


わかってほしいとか思わないけど。


だっててめーら何にもわかってない。



わたしの気持ちなんてわたしだけが知ってれば良いよ、まぁおんなじ気持ちでいてくれる人がいたらとっても嬉しいけどね、


なんか文章に表しきれないんだ、うまく喋れないけど、好きです。


わたしはわたしの可愛さを追い求めるよ、
何が悪い




わかってほしいとか思わないけど、わかんないとかちょっとどうかと思う


大森靖子ちゃんの新アルバム、クソカワPARTY爆売れしますように。

混ざる事ない透明な意思と 与える愛


まだ知らない何かに出会いたい。


自分を安く売るのはもうやめた。やめたい。

私はあなたにはなれないことなんて最初からわかっていたよ。変わってしまったんだ。
離れていかないでなんて、同じところがたくさんあるけれど、大切は同じではなかった。
それでもこれまでも、これからも、そうやって笑ってる、続いてく人間関係。どうやってやっていたっけ?忘れてしまった、うまく泳ぐ方法。


あなたに教えて貰った、女としての生き方、私の生き方ではないと思った。というか、私に似合わない。



私が私を好きなまま、私でいていい世界を透明に作り上げたい。


きちんと好きを増やして私を創りたい。


目で見て感じて解りたい。





振り返った時に風が吹くような海辺の坂道
私の街




その気持ちを守りたい


私の与える愛は今、彷徨ってる
それがちょっと楽しい


私の幸せなんて永遠に見つけないで
だってまだ作ってないんだもん

作ってくれるものに愛を与えたい


(だから音楽とアイドルと靖子ちゃんには大きな大きな大きな愛でもてなしたい)



みんなの私じゃなきゃダメなんてぜーんぶ嘘なんだし、


私だって最後に全部嘘でしたぁ💘ってなかったことにして笑ったまんま蹴り入れたいよ。


それが夢。限りなく透明な意思。