買った本の話。

朝、もがきながら起きて
偶々見つけた、
全然知らない人がリツイートした
全然知らない人の書評を
遅刻だってわかっているのに
(実際は遅刻していない)読んだ。


書評の内容は
川上未映子の「乳と卵」で
作者や登場人物に共感したが、
続編とされる「夏物語」で失望した】

という内容で、
軸は「乳と卵」の緑子ちゃんの持つ
「反出生主義」だった。
(私は、緑子ちゃんの考えが反出生主義とは言えないと思うけれど)


私は、NHKのSONGSの小沢健二のおかげで
親友と「活字が読みたーい!」と言っていたことや、
それこそ「夏物語」が出た時に
単体で気になっていたこと、
川上未映子の「ここは退屈、迎えに来て」を持っていることなど、
様々な要因が相成って、その書評を読んで
「どうしても読みたい!」と思った


しかしその思いは、
とても不思議な感情から生まれたものだった。

まず第一に、2018年の夏に読んだ、
前述の「ここは退屈、迎えに来て」。
これはとてもつまらなかった。

その理由は、
物語の環境が、自分と9割重なっていたのに、
どの登場人物にも自分がなり得なく、
感情移入できなかったから。
(去年のわたしへ、2019年のわたしより)



物語や、人が作り出した話を自分に落とし込む時、
共感や感情移入が必要不可欠、
という観念は、私にはないけれど、
何故だかひどく憤りを感じる程だった。



あの本は、それが目的なのかもしれない。
で、そうしてわたしは作家「川上未映子」を「私には合わない人」とカテゴライズしていた。



なのになぜ「合わない人」の本をお金を出してまで買うのか。
待てば休日にブックオフだって行けるのに。
ママには頭がおかしいと言われた。

これは異文化理解だ。

は?だ。
いや本当に、緑子ちゃん風にいうなら厭、
自分でも訳がわからない。
仕事が厭すぎて頭がおかしくなったのだろう。

まず作者の本を一冊読んだくらいで
全部を知った気になるなんて、
とても恥ずかしいし。

文化なんてわかる訳ない。
だけど、異文化理解だ、と思った。

「合わないのに読みたい」
「厭なのに触れたい」、
と自分の中の何かが切望した。

そんでもって休憩中、
棒になった足を無理やり動かして駅の書店に行った。
「もしこのちっちゃい本屋さんにあったら運命だから買おう、無かったら諦めよう」
とここでも運命論持ち出して、

探したけどなくて、ないなら余計気になっちゃうじゃん!ってルール変更して何文庫か検索して。


そしたら、あった。一冊だけ。【川上未映子】じゃないとこに。

何月か、忘れたけど前も休憩中に本を買って読んだなぁ。




思ったより薄っぺらいそれは、頁を開くと、

やっぱり私には合わなかった。笑

何がって、文章のリズムが。

私もツイートなら文字数いっぱいに、
おしゃべりなら息継ぎなしに、
作文なら指定枚数を超えて(あかん)
言葉を続けてしまうけれど、

ぎゅーっと連なる文字が入ってこなくて笑った。

これは作者への批判ではなくて、
単に私に合わない、というだけなのだけれど。


そもそも話の内容も「は?」どころか
「はぁ??????」という感じで
どうして登場人物がそうしたのか、
わかるような、わからないような。

私と思考が違いすぎてぶっ飛びすぎて本当にわからなかった。。。。

特に乳と卵の、最後のシーン。
レビューにあった通り緑子ちゃんの日記は
とても良かったけれど、

なんでそんなに卵あるん?!?

っていうことばかりが気になって気になって
仕方なかった笑



だから、思った。
あの書評を書いた人は、
この本からそこまでのことを受け取れる
感受性があって、凄いなぁ。と。

多分緑子ちゃんは本当に生まれてこなきゃ良かったって思ってるとは、思うけど
そんなことを思ってしまってお母さんに罪悪感も感じてて、反出生主義がどーのこーのじゃなく、普通に思春期のはじまりなだけだと思ったし、私はそれ以上のことを汲み取れなかった。
(あほの露呈)


後半の短編なんて尚更。
いや、わからなくもないけど
「察せよ」みたいなのがプンプン伝わってきて私は苦手。殴る必要、あった?


突然バッサリ切られすぎて深くも何にもないわ。
と、思ってしまうのだった。

んまー私が荒んでいるからかもしれない。


だけど、ちょっとだけ
緑子ちゃんの気持ちは、大切にしたいなぁ。
と、は思った。



とまぁこんな感じで。
思いつきで本を買ってはいけないな、という話でした。

でも、違う価値観に触れるのも時には必要だった、よね?


おわり