ラストダンス キメたい
11月18日、13時25分、ばあちゃんが天国に行った。
眠るような綺麗な姿で
何度見ても、死んだと言うことが信じられない程だった。
未だに、あれは全部夢だったのではないか、と思っている自分もいる。
そんな悲しみをきちんと受け入れて飲み込むゆとりもない。
死んだと言うことは、生きていないと言うことの全てだ。
彼女の体は、意識がなくなってから3日、自発呼吸をし、心臓も動いていた。
しかし、誰が呼びかけても、返事もしない。反応もない。あんなにおしゃべりが大好きで朗らかでおちゃめな彼女が。
それでも、生きていると言えたのか。
私は、声をかけられなかった。
触れられなかった。
私なんかが声をかける資格はなかった。
10人近くいる孫の中で、私は1番の厄介者だったし、一番離れていた。
そして、いつもどんな話をしても1から10まで残さず聞いてくれて、100倍にして返してくれる私の中のおばあちゃんとの思い出を、綺麗なままで残したかった。
否、そんなのは綺麗事で、目の前で起ころうとしている「死」と言う現実を突きつけられるのが怖かった。
死ぬことが人生において
唯一の結果なのだから
「死」が結果だとしたら原因は「生」になり得るだろうか。
彼女は幸せだったのかどうか、私達には知る由も無いけれど、たくさんの人に想われて、慕われていた彼女の人生に最後に死が組み込まれていて、それが必然的なものであるならば、きっと彼女のための彼女だけの最高の終わり方だったのだろう。
起こるべくして起こり、出会うべくして出会う、私達はいつもいつでも試されていて、一つ一つの事象を必然だと飲み込んでいかなくてはならない。
やり直せたらいいよね。産まれたときから。
でも今が私の物語の必然を全て集めたものだから。
私は先に進んでいくよ
そのために毎日を踏ん張って生きてる
向いてないよ生きるの
だけど向いてないなら向かうしかなくて。
将来のこととか、すごく悩んでるし、
不安も苦しみも辛さもたくさんたくさんあって毎日心は折れそうだけど
それでも大切なものを、手放してはいけないものをボロボロになっても守っていくしかない。
守り抜いたその先に、見えるものがあると思うから。
私、いま、ちゃんと生きてるよ。
ラストダンスをキメられるその日まで
殺されないでいよう。自分の足で歩くの。
まだ折れない。