「まじめに生きなさい」ってママが言ったの
先週の爪お気に入りだった
みんなのことを好きだけど
それがそのままずっとそうであることは
とっても難しい。
私のこの一生治らない肩と、手に残る傷の価値は5万円です。
私を撥ねた人の車の修理費も5万円だと言われました。
それに対して許せないことが沢山あって、その人は私たちやそれに関わる人を騙したり、嘘をついたり、本当を捻じ曲げたり。こっちができないとタカを括って、馬鹿にされた態度を沢山取られ、恐怖心を煽ることを沢山言われたり、そういう手法を取られました。
私の傷は一生治らないのに、どうして平気で生きてるの?と思います。
その上、私を悪者にした発言をしたり、すぐバレるのに真実を捻じ曲げたり、それが大人のやることなのかな?と思いました。
事故当時まだ20歳になって1ヶ月しか経ってなかったなんもわからない小娘(それで良いとは思ってないけど)に対する態度や対応がそれなら本当に汚くて酷くて狡くて許せないと思いました。
なぜ保険の人は相手の車の修理費用の話なんてしたんだろう。関係ないことなのに。じゃあ私にして来た様々なことは?なに?って思うよね。狡いよね。許せないよね。
愛を持って向き合えないときは私にだってあります。
パパはすぐ弁護士だなんだって言うけど
裁判でレントゲンすり替えて弁護士もグルになって車に轢かれた被害者を嘘つき呼ばわりしてその人は脳や体の麻痺を残したまま、昨年、亡くなりました。もっともっと沢山傷つけられて。
見える傷だけが傷ではないと思う。
私は、可哀想になりたいわけではない。
お金が欲しいわけでもない。
感情的になってしまうけど、ただ私が、その人に轢かれたと言う事実が、捻じ曲げられることが許せないだけ。それを認めて欲しいだけ。
なんで体も傷つけられて、治らないのに、相手の車のことなんか考えなきゃいけない?私は車が来てないの確認してから青信号渡ってただけで、そのまま入って来たのは車なのに。
保険の人は私が車にぶつかっていったと言った。ぶつかっていった場合は車の傷つく場所も違う場所だろと思いますけどね。でもそもそも常識の通じない人だった。怖いこと沢山された。だから
恨まない。許せないけど忘れる。
認めて欲しいって思っても、はなから認める気がない人達は、わかった上で、そうしてるのだから。
恨んだり、因果応報の報いを自分で下したって、なんのプラスにもならない。
綺麗でいたいから、綺麗事を言うように、
汚くなりたくないから、汚い人とはキッパリさようなら。
そして私はいつかもっと大人になったとき、
綺麗な大人でありたい。
1番強く輝く誰にも潰されないのは、愛で返すことだと思う。どんなに酷いことがあっても。愛のままで。