私と大森靖子【超歌手 大森靖子著を読んで①】
やっと待ちに待っていた「超歌手」を手に入れた。そこで、感想と大森靖子ちゃんに対する私の思いを自由に、勝手に、自分らしく表現しようと思う。
私と靖子ちゃんとの出会い
大森靖子ファンになってから早5年になる。
私が「大森靖子」と出会ったのは、高校一年生の時。「きゅるきゅる」の発売の前あたりだったと記憶している。
当時付き合っていた彼氏とはプチ遠距離で、生活時間もお互いのすべき勉強量も全く違い、LINEですら夜の決まった数時間の内でしか返ってこない。今思うととてもかわいい恋愛。
しかしキャピりたい盛りの華のJKだった私は、昇華されない「好き」や田舎特有の閉塞感からどんどんサブカルや邦ロックに傾倒していった。
クリープハイプ、SHISHAMOなどが続々とメジャーシーンに乗っていく中、「死ぬまで一生愛されてると思ってたよの盤良いよね〜〜」「サブギターの歌、泣ける〜〜😭」というような会話をしている裏で、密かに私の熱量は大森靖子に向かっていた。
食べかけの愛にラップをかけて
あなたはいつまで取っておく気よ
腐っちゃうのを試してるんでしょ
可愛い人ね
出だしから、今で言うところのこの歌私のこと歌っていると錯覚した。
まさに@YOUTUBEさんからあの娘の端っこかじって知ったかぶりしていた。
しかしまぁJK1(笑、今はFJKというらしい)の若干16歳の女子がカラオケで 夢ばっか見ないで無駄だよ ザーメン なんて歌うことができる環境も作れなかったし、「大森靖子?なにそれ?」と言われるのは、正直目に見えていた。
その内私はアイドルグループにハマりまんまとオタクに舞い戻る。
靖子ちゃんがいつだかのカラオケでリクエストNGを出した「でんぱ組.inc」だ。
その頃から衣装関連が好きだった私はきゅるきゅるの縷々夢兎衣装、でんぱ組の縷々夢兎衣装から、縷々夢兎経由で、でヲタという認められたアイデンティティを使い(当時はドルヲタは私の周りでとても認められていたのででんぱ組といえば私と親友というアイデンティティを構築することができた。)、大森靖子が好きということを公言するようになった。
よって他の友達にも大森靖子を布教することができ、私の友達にも大森靖子が好きだと言う人は2、3人はいる。今年の親友の誕生日には、「超歌手」と「かけがえのないマグマ」をプレゼントしたりなどした。
それからというもの、私から大森靖子ちゃんの音楽が鳴り止むことはなかった。
超アドレセンス真っ只中に私は大森靖子ちゃんの影響を多大に受けて、私の考え方、生き方は大森靖子ちゃんの作る世界を見て、作ってきた。
だから、靖子ちゃんを傷つける人も貶す人も私の中ではクソだ、と思っている。
というか、わからないなら死ねば良い。と思っている。
この死ねば良い、というのは、私の世界からだ。
あなたはあなたの世界であなたの良いと思うことを取捨選択して生きれば良いと思う。
但し、私の世界からは消えていただきたい。
わからないのならば、
わかる気がないのならば。
美しく、超生きてたい。
私は私の世界の中で、綺麗に生きて綺麗に終わりたい。生まれた瞬間からあとは死ぬだけなのだから。だから綺麗事でもなんでも良い。綺麗に丁寧に毎日を重ねて生きたい。
それが私が大森靖子ちゃんから受け取った私の思考だ。
靖子ちゃんがいなかったら、わたし、どんな人間になっていたのだろう。と思う。
きっと、自分のことしか考えられない、なにも思考しない、ただアホヅラ下げて毎日を浪費する女になっていただろう。
私の生きる上での信念は、
人生で起こる全ての物事、出会う人や物は全て自分の人生に必要な事、それがどんな結果であれ。
だから、大森靖子ちゃんにも大森靖子ちゃんが作る音楽にも出会うべくして出会い、私の人生に必要だから出会ったんだと思う。
それが、私と大森靖子。