🤪


こんにちは、ちゆみです。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれないですが、
私は昨年アパレル会社に新卒で入社し、
アパレル販売員として2年目を迎えました。

学生時代は
某大手お値段以上の売り場担当として
2年間バイトしていたので、
販売員という括りでは4年になります。



接客を主とする販売業って、
考えてみるとそう多くないかもしれない。



コンビニの店員さんに、
「どの煙草が私に似合いますか?」
とか、



スーパーの店員さんに
「今日の晩ご飯、
豚すきと牛すきで迷ってるんだけど‥」
とか、


聞いてる人ってあんまりいないですよね。




もちろんドラッグストアの
登録販売員さんに

「熱があって怠くて、
速く効いて眠くならないのはどれですか?」
とか、

聞くことはあるけれど、


これらの販売員さんは、
明確な根拠があって勧めてくれている訳で。


基本的には

  1. レジ業務(これも接客?)、
  2. 品出し、
  3. 発注、
  4. 店内管理 シフト管理 本社やビルとの連絡

等々 運営業がメイン。


(上に挙げた例は日用品の部類だと思うし
日々生活できているのはこれらの業種で働いてくださっている方がいるから‥。
とても感謝しています。)


まぁ、
私のような種類の販売員の接客も、

もちろん知識としての根拠を持って
お話ししてはいるけど、


購入の決め手になることは
殆どがお客様の気持ちや考え方に拠る、

不確定要素が鍵。


そういった不確定要素を
察知してお客様にとっての確定要素にする。

そして満足していただいた上、
買っていただく のが

販売をメインにしている販売員の
提案接客だと思っています。



前置きが長くなってしまったけれど、
そういった仕事をする上で

現状オープンしている
ファッションビルの
テナントで働く従業員が
どう感じているのか、

#おうち時間
「不要不急の外出の自粛」の対にいる

私の話を聞いて欲しいと思います。



ここから先は完全に私の主観です。あくまでも私個人の意見で会社や他のアパレル店員さんもそう思っている!と主張したいわけではありません。また、身バレ防止のため伏せていたり変えている部分もあります。あしからず。




あなたにとって今、服を買うことは

必要急務ですか?




不要不急の外出の自粛要請
と、
連日ニュースで報道されようが
自治体が緊急事態宣言を出そうが
ビルにお客様は以外と結構います。


客足は約6割減。
でも元の4割はいるのです。

私のビルは駅近なので
お仕事に行くための道として利用している方もたくさんいらっしゃると思うけれど、

マスクせずに友達とお買い物している人や、
カップル、子供連れ‥

普通にいます。


正直、報道されている言葉の意味を
知らないのかなぁ‥と不安になります。




建前では、
みんなに商品をお買い上げいただきたい。

本音は、「提案接客」も「営業」もしたくない。


ではなぜそれらをしたくない、
今の状況下ですべきでないと考えるのかを
書こうと思います。

ソーシャルディスタンスが守れない

理由その1としては
小池都知事などが呼びかけている
ソーシャルディスタンスがとれないから。

ソーシャルディスタンスとは、

他の人との間に安全な距離をとる(keep a safe distance from others)ことです。
具体的な距離は、アメリカのCDC(疾病管理予防センター)によると「6フィート(約1.8m)」だと言われています。ニュージーランドの保健省もこれにならって、2メートルとしていますが、WHOは最低1メートルの距離をとるように推奨しています。

新型コロナ対策 “social distancing(ソーシャル・ディスタンシング)” の意味とは? | 日刊英語ライフ

これがアパレルの提案接客では不可能に近いです。

テナントの大きさの平均が
仮に15坪〜20坪(50㎡〜60㎡)としましょう。
そう聞くと広く感じるかもしれませんが、
レジやフィッティング、店内ストックの他、間に棚やラックももちろんあります。

ベビーカーや車椅子が通れて、
商品を手に取れる通路幅は
最低でも1.2-1.5は必要です。


ですが商品の置いてある通路内で
お声がけするのには
その時点でソーシャルディスタンスが取れません。

こちらは、「フリー素材 アパレル 接客」
とグーグル検索し、出てきた画像欄のスクショです。

基本的にお洋服の提案接客は、
お洋服とお客様に近づき、メリットをお伝えする。
着脱のお手伝いをする。
試着室へ案内する。ということです。


また提案接客では、
良くも悪くもいろんな意味で
お客様の顔色を伺わなければなりません。

個体距離
相手の表情が読み取れる空間。
45 - 75 cm
相手を捕まえられる距離。
75 - 120 cm
両方が手を伸ばせば指先が触れあうことができる距離。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%2591%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25BD%25E3%2583%258A%25E3%2583%25AB%25E3%2582%25B9%25E3%2583%259A%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25B9

これはパーソナルスペースでの分類ですが、
逆を言えば、この距離の範囲内でないと提案接客は不可能なのです。

それは同時に、先に述べた、ソーシャルディスタンスの不可能も表します。


お洋服は安全?

理由その2は、
そもそもお洋服が安全なのかわからないということです。

昨今の報道では、
今回のコロナウイルスについて
様々な見解がなされています。

しかし、公衆衛生のプロではない私でもわかることがあります。
それは、未知のウイルスだということです。

服など消毒しにくいものの表面で、新型ウイルスがいつまで生存するかはわかっていない。

https://www.bbc.com/japanese/51939641%20


ぜひ時間のある方は上のリンクから記事を読んでいただきたいです。


ダンボール(アパレル業界で言うパッキン)
には24時間残存すると言われています。

商材が届くのは大抵パッキンで届きます。


店舗間移動など、1日で届くものの場合
最悪、市内系列店同士を潰してしまうことも
あり得ると考えられます。

(運んでくださる運送業の方にも迷惑をかけてしまいます)


また、商材である服も
一部のワイドショーでは
服についたウイルスは数時間残る
と報道されています。


アパレルショップの場合、
人気商品は
1日に何度も試着されることも多いです。

結果ご購入につながれば、
販売員の気持ちとしては嬉しいですが、
そうではない=お戻しになることが大半です。



その場合一回ごとにお戻しのお洋服を
洗ったり、除菌したり、
新しいものに変えたい気持ちはあります。

ですが不可能に近いです。



お客様の中に無症状感染者がいるかどうか、
こちら側では確認することができません。

来てくださったお客様を
選ぶこともできません。


フェイスカバーのご使用も、それこそ
要請することはできますが、
強制することはできませんし、
もし万が一、手にウイルスがついていたら?


また、
エアロゾル感染の可能性が疑われている今、

小さな個室であり、
窓や換気栓があるわけでもない
フィッティングルームに

上記のリンクにあるように
三時間菌が残るとしたら。


1人の人が使ったあと
三時間誰も使わないと言う保証はありません。


営業している限り、
お客様が試着したいと
申し出たのであれば
ご案内するしかないのです。



言い出したらキリがありませんが

お薬や食品、日用消耗品ように、

洋服は、販売時未開封ではありません。

お店で購入している服も、
もしかしたら
ECで購入した服も、

店頭に一度でも出ていたら
安全ではないのです。

服がウイルスの媒介物になるかどうか、
不確定な今、不要不急な購入は
お客様にとっても、販売員にとっても
危険であると言えます。



「全てを新品でお渡しすればよいのでは?」

「フィッティングルームを毎度除菌したら?」

そう考える方もいらっしゃるかもしれませんが


全て新品をお渡しする

→少なくとも店頭分ロスの
発生が起こってしまう。

ご試着ごとに新品にしていたら
それ以上に不利益になってしまいます。


試着室を毎度除菌する

→これは不可能ではありませんが、
除菌グッズが品薄な今、
ご試着ごとに除菌していては
除菌グッズがいくらあっても
足りなくなってしまいます。



試着を辞める

→これも不可能ではありませんが、
返品やクレームが増えてしまう
可能性があります。

ご説明や交換対応の際に接客が長引くと
感染リスクも高まります。



コロナの状況下では、
商材や店舗内に残存するウイルスも、
お客様との三密で引き起こされる感染リスクも 

どちらも危険なのです。


私は強く願います。

アパレル販売業界に対して。

  1. ECの強化
  2. 長時間労働の禁止
  3. 緊急時における提案接客の禁止
  4. 緊急時における作業の簡略化
  5. 慣習などの無駄、人員削減


思いの他多くなってしまいましたが‥


私の会社ではノーワークノーペイの為


正社員でも欠勤、遅刻をすると
罰として給料から
その分徴収されます。
(給与明細にその欄があります)



その為か
客数がどんなに少なくても
店頭に4〜5人いる
という状態になっています。



他社の競合店でも
店頭のお客様の倍以上の人員を
目にすることがあります。



私の場合
人員の多い日は
既に3ヶ月分有給残から
休みを、言い方がよろしくないですが
とらせられました。



しかし先日、

首相 出勤者を最低7割減 “接客伴う飲食店利用自粛”全国に
首相 出勤者を最低7割減 “接客伴う飲食店利用自粛”全国に | NHKニュース

と国民に要請がありました。


アパレルショップの大半は
飲食店ではないですが


外出し、他人と接触することが
ウイルスの拡散や感染につながる以上、
長時間

不特定多数のお客様と、
また、小さな店舗内で
スタッフと近距離で接触する


アパレル販売員も
7割減を目指すようにするべきだと考えます。


先ほど述べた提案接客の強要(笑)を
やめて、某家具屋の方針のように
セルフ接客、
聞きたいことがあれば自分で店員を呼ぶ
レジ対応のみ にした方が

お客様も、不特定多数の接客をしている
アパレル店員と接触することを
最小限にできますし、
何より多くの人員を必要としません。


今は未曾有の緊急事態です。

会社のルールにないなら

作ったり、変えたりするべきです。

慣習がとか、言ってる場合じゃないです。

ギリギリの12時間休憩1.5労働とか、
させてる場合じゃないです。


儲けがないと会社は潰れてしまいます


お客様がみんな死んでしまったら
従業員がみんな死んでしまったら

会社は儲けを生み出せません。


従業員、お客様両方の命を守る為に
今、変わるべきです


その分少なくともECを強化や
テレワークはできずとも
個人で販促できる環境を整えたり


マスクや防護服製造のための
材料を提供したり

今できることは
たくさんあるはずです。


そうした行動が、
コロナ終息後の
お客様の信頼や購買要素につながると
思います。

館、ビルに対して。

可能な限り不要不急テナントの
フロアだけでも
営業時間短縮してください。

109などのように
休館にしてください。




営業している時間分、従業員、警備員
危険にさらされています。

既にコロナに感染している従業員が
でたビルも沢山報道されています。

人の命がかかっています。

まだコロナには対処療法しかありません。
かかっても大丈夫な病気でもなければ
他の人にうつす可能性も大いにあります。

たとえ生き延びても
人工呼吸器をつけた場合
体に痕がのこることも
呼吸困難が続くと脳に障害が
おこることもあります。



可能性 は無限大です。

最悪を考えたらキリがない。という判断も
あるとは思いますが

お客様や従業員が亡くなってしまっては
本末転倒だとは思いませんか?


お客様、従業員 1人に対して
その職場の仲間、両親、兄弟、友人、その他人数を考えてください。

営業によりコロナ媒介のきっかけとなれば
お客様の数もかなり減ってしまいます。

また客数が減っている今、
営業を続けることで
維持費の方が上回ってしまうことも大いに考えられます。


目先よりその先を考えた方が
賢明だと私は思います。

お客様へ。

ご来店、ありがとうございます。
ですが、今はどうか


今あるお洋服で生活して
ご自身の健康と安全をお守りください。

今あるお洋服で楽しむ方法を
わたしたちもおうちから提案できるように
頑張ります。



そして、不要不急を支える
公務員さん
病院関係者、介護、保健、保育関係者
スーパーやコンビニ、ドラッグストア、
交通機関で働いてくださっている方々の
危険を少しでも減らして


早く終息につながるよう

そしてまた安心して、楽しく
お洋服を選びに来ていただけるように
私たちも頑張るので

みんなで頑張りましょう。


またのご来店を心よりお待ちしております。




最後に、これが本題です

日本の国を運営されている方々へ。

あえてこう書きます



不要不急の外出や三密を促す職業に
補償をしてください。

なぜ、外国やWHOに払うお金があるのに
国民に払うお金がないのですか?

マスク2枚で4人家族。
100円でもいい、
全国民が命を守る
行動ができるようにしてください。


納税だってちゃんとしてます。
困ったときに殺される為に
私たちは働いたお金を献上してきたのですか?


アパレル企業の縮小や倒産の話も出ていますが、日本のアパレルが外資系やユニクロ、GUなどファーストリテイリングさん一強になって仕舞えば寡占状態になりかねないのではないでしょうか。
企業への補償だけでも構いません。
少しだけでいいから国民の立場になっては
いただけないでしょうか。

国民が亡くなってしまっては経済も何もありません。

私たちも、要請の通り不要不急の仕事を避け#おうち時間 を過ごしたいです

何より


コロナで死にたくないし、周りの人を殺したくないです


わかりにくい稚拙な文章を
よく読んでくださりました。


コロナウイルスの被害に遭われた全ての方の
ご冥福、ご回復を心よりお祈りします。



どうか、
どうか、たくさんの人に伝わりますように。

(途中の話)

SHINE MAGIC
運命って言ったのは他の運命殺す為だったし、生きていることの全て邂逅しあえただけのことであって、その上観取しただけで相対する人の全てをその人とたらしめるその思考、そしてそこから生まれる行動は慙愧に堪えないことだなぁと思いながら、それでも飽きずに心臓を動かしているのはやっぱりどう考えても矛盾している。

昔よりはほんの少しだけ、伝えたいことを伝えようと、云う意思が芽生えて、全ては言葉遊びだけれど、そもそも伝えるということは期待に似ている。期待=信じるという事象の、始まりから終わりまでの全てが独善的で、他人の心に依る自分の心で他の存在を侵食するなんておこがましいこと、本当はしてはいけないのに。生きているだけで加虐と言った靖子ちゃんは本当に凄いなぁと思う。

意思や、思考という言葉を使っても人間は思ったり考えたりすることを意識的に辞めている人が多くて、辞めなかった人だけ立ち止まって動けなくなってしまう。呼吸しているだけの人間。きっと自分の脳だってもうツルッツルだ。

素敵な映画を見たからってシネマを出たら人生バラ色なんてことは滅多にないし、あったとしてもそれは、見せかけの気持ちで。ピンク色のトカレフが黒色に変わっても永遠を撃ち抜いて欲しいな、生きていけなかった世界線
生きるか死ぬか殺すかの中で息してる。
いつか変わるなんてことないし、2割がキラキラの生活で、6割が半々で、残りの2割が泥まみれで這いつくばる生活だとして、私は最後の2割の自覚があるし、生きづらそうだねという言葉をもらっても世界の割合がそうであるならば私はその役割をしっかり果たして、クッソ生きてやる(とは一ミリも思わないな笑)溺れていよう、と思う。輝くほど死ねと言われるくらいが生きてるって感じがしそうだけど私は輝いてもいないし死ねとも言われるほど生きてもいないから。
余韻ふわふわ続くのが幸せって限らないし、ヒリヒリしてる方が生きてる感あるしね。ホントは真っ当にまっすぐ生きてたいし正しいことを正しく行なっていきたいけど、わかってるのにね、わかってる上で自分という存在そのものが、悔しくって苦しい。死ねマジック。

ホットギミック ガールミーツボーイを見て

あけまして。
今年もよろしゅうおねがいします◎



わたしに文才があったなら、

心に生まれる全てを
言葉にして残しておけるのかなぁ

気持ちは一瞬で変わる。
1秒前のわたしは、違うわたし。とは
よく言ったもんだな〜って
他人事のように感心します。

2本の映画を観ました。
奇しくもどちらとも
山戸結希監督の作品でした、運命。

2020年は、
たくさんの映画や物語を自分の中に
落とし込んで生きたいなと思うので
一個ずつ書いていこうと思います。

ホットギミック ガールミーツボーイ

原作者、相原実貴さんの「5時から9時まで」
という漫画が好きで、
中学生の頃からコミックを買っているので
巻末の広告で名前だけは知っていました。

公開時も気になってはいたけれど
もし、
今時のティーンズ向けゴリゴリ恋愛映画
だったらどうしよう…
と思って食わず嫌いしていました。

簡潔にいうと、全然前述の要素は無く、
(いや、あるんだけど)
キャピ💗ってよりは、
自覚のない自意識、
現実と認識の齟齬を
心に上手くまとめられない子供たちが、
どう折り合いつけていくのか、
という。(分かんねぇ😂)

うーん、わたしが感じたのは

全然、わかんないよ!

がこの作品のキーワードなんだと思った

ほんっと全然、わかんなくて、
明日の気持ちは明日にしかわからない
今日好きでも、
明日全然好きくないかもしれない。

今日まで信じていたことも、
現実は違っているかもしれないし

少しだけ大人になった私は、
それも全部受け入れて歩いていけること
「わかって」いるけど
それって本当にわかってるのかなーって
ただ諦めただけなのかも。

映画の作り方が〜云々とか関係なく
心に響く言葉があれば、
それは自分になるのかな



※以下ネタバレ含みます

主人公の初ちゃんは、ほんっとーに
最初から最後まで自分がなくて
幼なじみの梓が好き、という設定も
弱かったし、橘くんのことも
ただそこにいるから好きなのかな?って感じ
そこも含めて分からないのかもしれないけど

おにいちゃんのことも、お兄ちゃん(凌さん)の好意を弄んでる感が否めないよね
自分を好きってわかってるから、みたいな。
「私のこと好きなんでしょ?じゃあいいよね?」みたいな。

だから初ちゃんに対して
感情移入はしにくかった。

無自覚の可愛さ、橘くんも言ってたけど
結局それを武器にしてる時点で
自覚してるんだよな女は、、、

逆に妹の茜ちゃんの方がわたし的には
共感できた、というか切なかった。

最初から「いい子ちゃんな初ちゃん」
にはなれないことがわかっていて、
茜ちゃんは自ら「知りすぎている茜」に
なることを選んだ。

初ちゃんは何も知らなすぎるから。

でも自分の好きなすばるくんは
初ちゃんが好き。
何にも知らない初ちゃんがすき。

でも知りすぎちゃった茜は、もう
何も知らない茜には戻れない。

切なすぎてお姉さん泣きそうになったよ🥺

それでも初ちゃんに八つ当たり
するわけでもなく、
2人でカラオケしてるシーンは
茜ちゃんが1番成長したじゃん!
って思ってしまった😂

ラストシーンは賛否両論だけど
個人的には、違和感があるけど
物語は破綻してないし、良いかなと思う。

心の掛け合いで自分を見つけ出す
(ある種問答法…笑)
リアルではほとんど不可能だけど
歌みたいでわたしはすきだった!



総括して
自意識を揺さぶられて苦しくなるけど
ティーンを過ぎた大人も
愉しめる映画🎬




次は、「溺れるナイフ
について書こうという予定。


(そういえば明けてからペット2もコンフィデンスマンJPも見てた😂)

修羅場

やばい!今年全然写真撮ってないから
過去の自撮りしかないです!すみません!


休憩室で
「食べる乳酸菌シールドチョコレート」、
食べてます、どーもちゆみです。


2019年も残すところあと1日。
わたしは仕事納めが無いので
明日も仕事です。


社会人1年目だった今年は
唯ひたすらに、耐えて、堪えて、絶えた
一年でした。
みんなはどう?

やっぱりずーっとこのままでいいのかな?
って思っちゃう

感情は殺せないと思い知る
心は一つ、分譲できても増やせない

この世は修羅、修羅場で

世界の裏側なんてない、
ましてや深淵すらない
不条理
不公平
不平等のまま、時間という概念の前に
僕たちは立っていると感じた

2019年

2020年になったって死にはしないことが
わかっている今、
2000年に想いを馳せる

あの退廃した空気感が好きだった


今日になって
「後悔のない人生なんて、味気ないじゃない」

藤原ここあ先生の作品
いぬぼくの野ばらさんのセリフを思い出した

他界という言葉は便利な言葉で
他に世界なんてないのに、
まるで「ある」みたいに言うね

亡くなった人のことを想うとき
確実にわたしの中であなたは生きている

幸も不幸も罪も正義も生きるも死ぬも
全部ごったがえした人生で

また一年が始まる

2020年.もっと素直に生きたい
一度しかない人生だから

一人暮らし、
退職からの転職…

ちゃんと叶えられますように

全部自分次第だけどさ

2019年出会えた人、出来事、物、
全てに感謝の気持ちを込めて。


良いお年を。


一層この侭眠って居られたら好いのに

ユーランゴブレット

靖子ちゃんイメージして
レジンとスワロ、めっかわパーツで
アイフォンケース作った💗


体調はすこぶる悪いけど、
一旦しまっておくことにした。
ちょっとやばいけど、病は気からだし
欲しいのは「大丈夫?」なんかじゃない。


大人になったら、感情は表に出さず
社会に順応しなきゃ
って誰が決めたんだろうなぁ
ていうか、それを大人って決めたあなたは
大人ですか?


多分、
感情や気分で周りに影響させちゃう人がいたから、そんなこと言う人が出てきたんだろうなぁ

でもさでもさ、
他人の感情や気分で左右されちゃう
あんたはどーなのってな、
自分がないからそうなるんよ。
しかし感受性が強いHSPという能力もあるからさ、、カッコいいよな。。

私にしたらそれとこれとは別だと思う
人の心を感じた上で受け止めるか、
批判するか。そーいうことを言いたいんだなぁ

鏡に映る私も違うのに、
毎日同じことなんてあるの?


ほんとにさー、これだよね

自分のご機嫌とりだって
うまくいかない日あってもいいし
てかあってしかるべきだし

社会人になってから
特に私はほんとにグレーゾーンかまされる
ブラック企業選んじゃったから
理不尽矛盾、矛盾矛盾理不尽、の連続で
意味ないのに怒ったり悲しんだり。


逆に大切すぎて失くしたくない瞬間に
涙する時もある。幸せだってちゃんと思う時。

昨日は鬱でも今日は違うかも

その逆もあるね、


明日があるなんて本当は
当たり前の奇跡
君が楽しみしている日も
君が奇跡を繰り返した後にある


なんか、今日頑張れなくても、
明日の自分が頑張れるかもしれないって
思えるようになった。

強がりだってハッタリだって

今の私がそう感じたならそう生きていいって
言われた気がした。


ねぇ、感情に素直に生きるなんて
世界と調和を図る、
偉いきみにはきっと無理だけど、
自分の感情を認めてあげられるのは
自分しかいないから

存在なんて曖昧
実は概念なんてもうないんだよ


誰が決めたかもわからない
わたしの、あなたの、概念
私は私じゃなくても今ここに在る
あなたはあなたじゃなくても今そこに在る

細やかな感情だけ受け取るわ

全部フィクション。

これはナナちゃん。


音楽の海に溺れていたい、
助けないで、永遠に
このまま音楽に嵌って動けなくてもいい。


坂本真綾の全曲サブスク解禁が
胸熱すぎてしんどい。
好きすぎて敬称略


あんなに透き通った白い肌で
濁りのない声で
綺麗な感情を温めて
白く熱い意志を持つ人、知らない

坂本真綾しかいない




太陽も雨もすべて彼女に味方している
憂いも、幸福も掌握したような

全部物語になる


いくつも坂本真綾の曲を
ブログタイトルにしてきた、
彼女の音楽が私の人生には欠かせない

わかってくれなんて言えないけど
誰か1人でもわかって欲しい、
坂本真綾は、最高だよ

買った本の話。

朝、もがきながら起きて
偶々見つけた、
全然知らない人がリツイートした
全然知らない人の書評を
遅刻だってわかっているのに
(実際は遅刻していない)読んだ。


書評の内容は
川上未映子の「乳と卵」で
作者や登場人物に共感したが、
続編とされる「夏物語」で失望した】

という内容で、
軸は「乳と卵」の緑子ちゃんの持つ
「反出生主義」だった。
(私は、緑子ちゃんの考えが反出生主義とは言えないと思うけれど)


私は、NHKのSONGSの小沢健二のおかげで
親友と「活字が読みたーい!」と言っていたことや、
それこそ「夏物語」が出た時に
単体で気になっていたこと、
川上未映子の「ここは退屈、迎えに来て」を持っていることなど、
様々な要因が相成って、その書評を読んで
「どうしても読みたい!」と思った


しかしその思いは、
とても不思議な感情から生まれたものだった。

まず第一に、2018年の夏に読んだ、
前述の「ここは退屈、迎えに来て」。
これはとてもつまらなかった。

その理由は、
物語の環境が、自分と9割重なっていたのに、
どの登場人物にも自分がなり得なく、
感情移入できなかったから。
(去年のわたしへ、2019年のわたしより)



物語や、人が作り出した話を自分に落とし込む時、
共感や感情移入が必要不可欠、
という観念は、私にはないけれど、
何故だかひどく憤りを感じる程だった。



あの本は、それが目的なのかもしれない。
で、そうしてわたしは作家「川上未映子」を「私には合わない人」とカテゴライズしていた。



なのになぜ「合わない人」の本をお金を出してまで買うのか。
待てば休日にブックオフだって行けるのに。
ママには頭がおかしいと言われた。

これは異文化理解だ。

は?だ。
いや本当に、緑子ちゃん風にいうなら厭、
自分でも訳がわからない。
仕事が厭すぎて頭がおかしくなったのだろう。

まず作者の本を一冊読んだくらいで
全部を知った気になるなんて、
とても恥ずかしいし。

文化なんてわかる訳ない。
だけど、異文化理解だ、と思った。

「合わないのに読みたい」
「厭なのに触れたい」、
と自分の中の何かが切望した。

そんでもって休憩中、
棒になった足を無理やり動かして駅の書店に行った。
「もしこのちっちゃい本屋さんにあったら運命だから買おう、無かったら諦めよう」
とここでも運命論持ち出して、

探したけどなくて、ないなら余計気になっちゃうじゃん!ってルール変更して何文庫か検索して。


そしたら、あった。一冊だけ。【川上未映子】じゃないとこに。

何月か、忘れたけど前も休憩中に本を買って読んだなぁ。




思ったより薄っぺらいそれは、頁を開くと、

やっぱり私には合わなかった。笑

何がって、文章のリズムが。

私もツイートなら文字数いっぱいに、
おしゃべりなら息継ぎなしに、
作文なら指定枚数を超えて(あかん)
言葉を続けてしまうけれど、

ぎゅーっと連なる文字が入ってこなくて笑った。

これは作者への批判ではなくて、
単に私に合わない、というだけなのだけれど。


そもそも話の内容も「は?」どころか
「はぁ??????」という感じで
どうして登場人物がそうしたのか、
わかるような、わからないような。

私と思考が違いすぎてぶっ飛びすぎて本当にわからなかった。。。。

特に乳と卵の、最後のシーン。
レビューにあった通り緑子ちゃんの日記は
とても良かったけれど、

なんでそんなに卵あるん?!?

っていうことばかりが気になって気になって
仕方なかった笑



だから、思った。
あの書評を書いた人は、
この本からそこまでのことを受け取れる
感受性があって、凄いなぁ。と。

多分緑子ちゃんは本当に生まれてこなきゃ良かったって思ってるとは、思うけど
そんなことを思ってしまってお母さんに罪悪感も感じてて、反出生主義がどーのこーのじゃなく、普通に思春期のはじまりなだけだと思ったし、私はそれ以上のことを汲み取れなかった。
(あほの露呈)


後半の短編なんて尚更。
いや、わからなくもないけど
「察せよ」みたいなのがプンプン伝わってきて私は苦手。殴る必要、あった?


突然バッサリ切られすぎて深くも何にもないわ。
と、思ってしまうのだった。

んまー私が荒んでいるからかもしれない。


だけど、ちょっとだけ
緑子ちゃんの気持ちは、大切にしたいなぁ。
と、は思った。



とまぁこんな感じで。
思いつきで本を買ってはいけないな、という話でした。

でも、違う価値観に触れるのも時には必要だった、よね?


おわり