ホットギミック ガールミーツボーイを見て

あけまして。
今年もよろしゅうおねがいします◎



わたしに文才があったなら、

心に生まれる全てを
言葉にして残しておけるのかなぁ

気持ちは一瞬で変わる。
1秒前のわたしは、違うわたし。とは
よく言ったもんだな〜って
他人事のように感心します。

2本の映画を観ました。
奇しくもどちらとも
山戸結希監督の作品でした、運命。

2020年は、
たくさんの映画や物語を自分の中に
落とし込んで生きたいなと思うので
一個ずつ書いていこうと思います。

ホットギミック ガールミーツボーイ

原作者、相原実貴さんの「5時から9時まで」
という漫画が好きで、
中学生の頃からコミックを買っているので
巻末の広告で名前だけは知っていました。

公開時も気になってはいたけれど
もし、
今時のティーンズ向けゴリゴリ恋愛映画
だったらどうしよう…
と思って食わず嫌いしていました。

簡潔にいうと、全然前述の要素は無く、
(いや、あるんだけど)
キャピ💗ってよりは、
自覚のない自意識、
現実と認識の齟齬を
心に上手くまとめられない子供たちが、
どう折り合いつけていくのか、
という。(分かんねぇ😂)

うーん、わたしが感じたのは

全然、わかんないよ!

がこの作品のキーワードなんだと思った

ほんっと全然、わかんなくて、
明日の気持ちは明日にしかわからない
今日好きでも、
明日全然好きくないかもしれない。

今日まで信じていたことも、
現実は違っているかもしれないし

少しだけ大人になった私は、
それも全部受け入れて歩いていけること
「わかって」いるけど
それって本当にわかってるのかなーって
ただ諦めただけなのかも。

映画の作り方が〜云々とか関係なく
心に響く言葉があれば、
それは自分になるのかな



※以下ネタバレ含みます

主人公の初ちゃんは、ほんっとーに
最初から最後まで自分がなくて
幼なじみの梓が好き、という設定も
弱かったし、橘くんのことも
ただそこにいるから好きなのかな?って感じ
そこも含めて分からないのかもしれないけど

おにいちゃんのことも、お兄ちゃん(凌さん)の好意を弄んでる感が否めないよね
自分を好きってわかってるから、みたいな。
「私のこと好きなんでしょ?じゃあいいよね?」みたいな。

だから初ちゃんに対して
感情移入はしにくかった。

無自覚の可愛さ、橘くんも言ってたけど
結局それを武器にしてる時点で
自覚してるんだよな女は、、、

逆に妹の茜ちゃんの方がわたし的には
共感できた、というか切なかった。

最初から「いい子ちゃんな初ちゃん」
にはなれないことがわかっていて、
茜ちゃんは自ら「知りすぎている茜」に
なることを選んだ。

初ちゃんは何も知らなすぎるから。

でも自分の好きなすばるくんは
初ちゃんが好き。
何にも知らない初ちゃんがすき。

でも知りすぎちゃった茜は、もう
何も知らない茜には戻れない。

切なすぎてお姉さん泣きそうになったよ🥺

それでも初ちゃんに八つ当たり
するわけでもなく、
2人でカラオケしてるシーンは
茜ちゃんが1番成長したじゃん!
って思ってしまった😂

ラストシーンは賛否両論だけど
個人的には、違和感があるけど
物語は破綻してないし、良いかなと思う。

心の掛け合いで自分を見つけ出す
(ある種問答法…笑)
リアルではほとんど不可能だけど
歌みたいでわたしはすきだった!



総括して
自意識を揺さぶられて苦しくなるけど
ティーンを過ぎた大人も
愉しめる映画🎬




次は、「溺れるナイフ
について書こうという予定。


(そういえば明けてからペット2もコンフィデンスマンJPも見てた😂)

修羅場

やばい!今年全然写真撮ってないから
過去の自撮りしかないです!すみません!


休憩室で
「食べる乳酸菌シールドチョコレート」、
食べてます、どーもちゆみです。


2019年も残すところあと1日。
わたしは仕事納めが無いので
明日も仕事です。


社会人1年目だった今年は
唯ひたすらに、耐えて、堪えて、絶えた
一年でした。
みんなはどう?

やっぱりずーっとこのままでいいのかな?
って思っちゃう

感情は殺せないと思い知る
心は一つ、分譲できても増やせない

この世は修羅、修羅場で

世界の裏側なんてない、
ましてや深淵すらない
不条理
不公平
不平等のまま、時間という概念の前に
僕たちは立っていると感じた

2019年

2020年になったって死にはしないことが
わかっている今、
2000年に想いを馳せる

あの退廃した空気感が好きだった


今日になって
「後悔のない人生なんて、味気ないじゃない」

藤原ここあ先生の作品
いぬぼくの野ばらさんのセリフを思い出した

他界という言葉は便利な言葉で
他に世界なんてないのに、
まるで「ある」みたいに言うね

亡くなった人のことを想うとき
確実にわたしの中であなたは生きている

幸も不幸も罪も正義も生きるも死ぬも
全部ごったがえした人生で

また一年が始まる

2020年.もっと素直に生きたい
一度しかない人生だから

一人暮らし、
退職からの転職…

ちゃんと叶えられますように

全部自分次第だけどさ

2019年出会えた人、出来事、物、
全てに感謝の気持ちを込めて。


良いお年を。


一層この侭眠って居られたら好いのに

ユーランゴブレット

靖子ちゃんイメージして
レジンとスワロ、めっかわパーツで
アイフォンケース作った💗


体調はすこぶる悪いけど、
一旦しまっておくことにした。
ちょっとやばいけど、病は気からだし
欲しいのは「大丈夫?」なんかじゃない。


大人になったら、感情は表に出さず
社会に順応しなきゃ
って誰が決めたんだろうなぁ
ていうか、それを大人って決めたあなたは
大人ですか?


多分、
感情や気分で周りに影響させちゃう人がいたから、そんなこと言う人が出てきたんだろうなぁ

でもさでもさ、
他人の感情や気分で左右されちゃう
あんたはどーなのってな、
自分がないからそうなるんよ。
しかし感受性が強いHSPという能力もあるからさ、、カッコいいよな。。

私にしたらそれとこれとは別だと思う
人の心を感じた上で受け止めるか、
批判するか。そーいうことを言いたいんだなぁ

鏡に映る私も違うのに、
毎日同じことなんてあるの?


ほんとにさー、これだよね

自分のご機嫌とりだって
うまくいかない日あってもいいし
てかあってしかるべきだし

社会人になってから
特に私はほんとにグレーゾーンかまされる
ブラック企業選んじゃったから
理不尽矛盾、矛盾矛盾理不尽、の連続で
意味ないのに怒ったり悲しんだり。


逆に大切すぎて失くしたくない瞬間に
涙する時もある。幸せだってちゃんと思う時。

昨日は鬱でも今日は違うかも

その逆もあるね、


明日があるなんて本当は
当たり前の奇跡
君が楽しみしている日も
君が奇跡を繰り返した後にある


なんか、今日頑張れなくても、
明日の自分が頑張れるかもしれないって
思えるようになった。

強がりだってハッタリだって

今の私がそう感じたならそう生きていいって
言われた気がした。


ねぇ、感情に素直に生きるなんて
世界と調和を図る、
偉いきみにはきっと無理だけど、
自分の感情を認めてあげられるのは
自分しかいないから

存在なんて曖昧
実は概念なんてもうないんだよ


誰が決めたかもわからない
わたしの、あなたの、概念
私は私じゃなくても今ここに在る
あなたはあなたじゃなくても今そこに在る

細やかな感情だけ受け取るわ

全部フィクション。

これはナナちゃん。


音楽の海に溺れていたい、
助けないで、永遠に
このまま音楽に嵌って動けなくてもいい。


坂本真綾の全曲サブスク解禁が
胸熱すぎてしんどい。
好きすぎて敬称略


あんなに透き通った白い肌で
濁りのない声で
綺麗な感情を温めて
白く熱い意志を持つ人、知らない

坂本真綾しかいない




太陽も雨もすべて彼女に味方している
憂いも、幸福も掌握したような

全部物語になる


いくつも坂本真綾の曲を
ブログタイトルにしてきた、
彼女の音楽が私の人生には欠かせない

わかってくれなんて言えないけど
誰か1人でもわかって欲しい、
坂本真綾は、最高だよ

買った本の話。

朝、もがきながら起きて
偶々見つけた、
全然知らない人がリツイートした
全然知らない人の書評を
遅刻だってわかっているのに
(実際は遅刻していない)読んだ。


書評の内容は
川上未映子の「乳と卵」で
作者や登場人物に共感したが、
続編とされる「夏物語」で失望した】

という内容で、
軸は「乳と卵」の緑子ちゃんの持つ
「反出生主義」だった。
(私は、緑子ちゃんの考えが反出生主義とは言えないと思うけれど)


私は、NHKのSONGSの小沢健二のおかげで
親友と「活字が読みたーい!」と言っていたことや、
それこそ「夏物語」が出た時に
単体で気になっていたこと、
川上未映子の「ここは退屈、迎えに来て」を持っていることなど、
様々な要因が相成って、その書評を読んで
「どうしても読みたい!」と思った


しかしその思いは、
とても不思議な感情から生まれたものだった。

まず第一に、2018年の夏に読んだ、
前述の「ここは退屈、迎えに来て」。
これはとてもつまらなかった。

その理由は、
物語の環境が、自分と9割重なっていたのに、
どの登場人物にも自分がなり得なく、
感情移入できなかったから。
(去年のわたしへ、2019年のわたしより)



物語や、人が作り出した話を自分に落とし込む時、
共感や感情移入が必要不可欠、
という観念は、私にはないけれど、
何故だかひどく憤りを感じる程だった。



あの本は、それが目的なのかもしれない。
で、そうしてわたしは作家「川上未映子」を「私には合わない人」とカテゴライズしていた。



なのになぜ「合わない人」の本をお金を出してまで買うのか。
待てば休日にブックオフだって行けるのに。
ママには頭がおかしいと言われた。

これは異文化理解だ。

は?だ。
いや本当に、緑子ちゃん風にいうなら厭、
自分でも訳がわからない。
仕事が厭すぎて頭がおかしくなったのだろう。

まず作者の本を一冊読んだくらいで
全部を知った気になるなんて、
とても恥ずかしいし。

文化なんてわかる訳ない。
だけど、異文化理解だ、と思った。

「合わないのに読みたい」
「厭なのに触れたい」、
と自分の中の何かが切望した。

そんでもって休憩中、
棒になった足を無理やり動かして駅の書店に行った。
「もしこのちっちゃい本屋さんにあったら運命だから買おう、無かったら諦めよう」
とここでも運命論持ち出して、

探したけどなくて、ないなら余計気になっちゃうじゃん!ってルール変更して何文庫か検索して。


そしたら、あった。一冊だけ。【川上未映子】じゃないとこに。

何月か、忘れたけど前も休憩中に本を買って読んだなぁ。




思ったより薄っぺらいそれは、頁を開くと、

やっぱり私には合わなかった。笑

何がって、文章のリズムが。

私もツイートなら文字数いっぱいに、
おしゃべりなら息継ぎなしに、
作文なら指定枚数を超えて(あかん)
言葉を続けてしまうけれど、

ぎゅーっと連なる文字が入ってこなくて笑った。

これは作者への批判ではなくて、
単に私に合わない、というだけなのだけれど。


そもそも話の内容も「は?」どころか
「はぁ??????」という感じで
どうして登場人物がそうしたのか、
わかるような、わからないような。

私と思考が違いすぎてぶっ飛びすぎて本当にわからなかった。。。。

特に乳と卵の、最後のシーン。
レビューにあった通り緑子ちゃんの日記は
とても良かったけれど、

なんでそんなに卵あるん?!?

っていうことばかりが気になって気になって
仕方なかった笑



だから、思った。
あの書評を書いた人は、
この本からそこまでのことを受け取れる
感受性があって、凄いなぁ。と。

多分緑子ちゃんは本当に生まれてこなきゃ良かったって思ってるとは、思うけど
そんなことを思ってしまってお母さんに罪悪感も感じてて、反出生主義がどーのこーのじゃなく、普通に思春期のはじまりなだけだと思ったし、私はそれ以上のことを汲み取れなかった。
(あほの露呈)


後半の短編なんて尚更。
いや、わからなくもないけど
「察せよ」みたいなのがプンプン伝わってきて私は苦手。殴る必要、あった?


突然バッサリ切られすぎて深くも何にもないわ。
と、思ってしまうのだった。

んまー私が荒んでいるからかもしれない。


だけど、ちょっとだけ
緑子ちゃんの気持ちは、大切にしたいなぁ。
と、は思った。



とまぁこんな感じで。
思いつきで本を買ってはいけないな、という話でした。

でも、違う価値観に触れるのも時には必要だった、よね?


おわり

追伸「あなたが好き」

色彩を鮮やかに表現できないのであれば
情緒を混濁した意識のまま
言葉で表す事くらい、
いつかできるようになりたいな。


(唐突にオムライス)

あたしの気持ちは誰にも
わかられたくないって言う
私の気持ちをみんなわかってよ
‥土台無理だけど


矛盾や理不尽その全てに憤りを感じている
はずだった。けど、
そうじゃなくてどうにもできない
自分が嫌いで仕方ないんだな


音楽は、魔法ではない。でも音楽は

と同じように

お洋服は、魔法では無い。でもお洋服は

ということだったんだ
響かなかったのは誰のせいだろう
私欲に塗れて受け取れなかった
偉い人のせいかな
伝える力が足りなかった私のせいかな

地下鉄にも、窓があって
壁一面の風景が流れる
蛍光灯の白い光
あと何本で最寄りかな


幸せではかけない文章を
幸せでは見えない景色を
手にしている 今が1番幸せ

「何百年に一度」の台風が
毎週来たって なんでも無いような顔をする
なんでも無いような顔でいる

心には吹き荒ぶ砂嵐のようなノイズと
見えなくてよかった、ような
見なくてよかった、ような

イヤホンはいつも半分より上の音量で
そうしないとまだ自分が社会の一部だから

泣いても泣いても変わらないこと
解り合えないことを、わかること
停滞の素晴らしさ


冬の始まりの朝、
またお布団に戻ってしまう 

ことが許された日々


どんどん遠くなる



もう戻れないのかな

私は全然不幸じゃない

チーズハットグをオータムフェストで食べた

私は全然不幸じゃない

着る服がある
住む家がある
食べる物がある

すくなくとも
明日を過ごすだけのお金はある

電気も水も今日はある
今日電気も水もない人だっている
去年の地震のときは無くなったこともあるけど
今の私にはある


親も親戚もかわいい弟もいる
死に直面する病気にもなってない

だから、私は全然不幸ではない。
全く不幸ではない。



不幸じゃないのに、悲しいのは



わかっていることがいくつかあるけれど、
わかりたくなくて、よく考えたら
最近はかなりの頻度で
涙が止まらない夜が多いねぇ、
と他人事みたいに




中途半端に息をして、歩いて、

誰も悪くないけど、悪いのは私だ
選んで生きたのは私だから
これが人生。



自動的に「いい子」になる自分にヘドが出る
それが社会性だというのか
これ以上嘘はつきたくないんだよ、
とわたしが言っても、私は聞いてくれない

最近疲れているのは、
いい子になるのに疲れているんだ
子とかいう年じゃ無いけどさ

いつも元気で明るくて、
人に不平不満を持たず、言わず。
そんな人間になりたかった
どんな努力をしたらそうなれるのかな
努力って一体なんなのか。


わたしは時々壊したくなる
私が作り上げた全てを



春から一生懸命作り上げてきた私を、
わたしは今、壊しそう。
いつも、心を遠くに、心を遠くにと
何度も繰り返す
要らない感情しか売りたく無いのに
耐えきれなくなったわたしが出てくる

わたしはいつも私を泣きたくさせる
頑張って作ったのに、
泣きながら挨拶をさせようとするのは
わたしのせい?私のせい?
いや、音楽のせいだな
なんてね


私のせいです