好きな音楽きいてきてメンヘラとか言ってくる奴


ファビュラスマットなガチ赤リップ






大森靖子アーバンギャルド、神かま、
相対性理論、さめざめ、クリープハイプ
coccochara欅坂46、ブクガ、でんぱ、

果ては椎名林檎まで





「音楽は何聴くの?」
「カラオケで何歌うの?」





聞かれて素直に答えたら



「病んでるの?」「メンヘラ?」


って言われるのを幾度となく経験したり、
肌で感じたりした。

その度に言葉にできない違和感、更に
形容し難い嫌悪感が生まれた。




同じ結果になるとわかっているから
この質問に答えるのをやめたけれど


病んでる、も、メンヘラ、も
プラスの言葉じゃないよね。
普通にディスっている。
ディスられている。



病んでいる、というのは
一体どういうことなんだろう、と考えてみたりもする。



私はいつだって私の中では平常で、
時に凶暴で残酷な
気持ちが生まれることもあれば、
神様のような、
生きとし生けるもの全てを
愛している!!
という気持ちになることもある。


そんな暮らしの中で出会った音楽を
選んで好んで聴くことや、口ずさむことに
なんら罪はないはずだ。






昔、先輩に突然
人となりを知りたい、と言われたことがある。



申し訳ないけれど、
普通に気持ち悪い、と思った



だけどあるとき気づいた。

好きな歌は何?、


それは、それこそ、
その「人となり」とやらを
聞くための質問なんだと。




話の流れで、
好きなアーティストは何か、
何の曲が好きなのか、という話題になることに
気持ち悪さは感じないけれど


掴みの話題がまず前置きなくこれだと
なぜか感じていた違和感


人は人にラベルをつける
自分が、この人はわからない、と思うと
この人はどういう人か、自分の物差しで
カテゴライズしないと気が済まないのだ。
他のものは、そのまんまにしておけるのに。




よくよく考えてみたら、
「おはようございます」
「おはよう」
「普段ってどういう曲聞くの?」
という会話は、文字に起こしても
かなりおかしい。





君の目で、わたしを測ってくれ。
量ってくれ、計ってくれ、図ってくれ。

わたしは永遠にわたしにしかなれない、
大森靖子を聴いたって、
椎名林檎を聴いたって。





彼女たちだって彼女たちそのもので
みんなが隠している気持ちを隠さない
(隠せない)だけで
むしろその方がわかりやすい、
わたしの中の「わかる」で。



わたしが好きなものがわたしを作っている
だけどわたしはわたしそのもので、
あなただってあなたそのもので。



心は誰にも奪えない、名前はわたしだけだよ