逆光
みんなと同じになりたいと強く願っていた。
その、「みんな」はいつも変わる。
小さい頃ママが私に口を酸っぱくして言っていた
「人の気持ちを考えられる人になりなさい。」
私は人の気持ちがわかっていない人間なんだ。
と、ずっと思っていた。
一生懸命考えているつもりだったから。
人の気持ちがわからないのは、
みんなと違う考え方をしてしまっているからだ、
そしてとても冷たく、
酷い性格をしているからだ。
と、最近まで思っていた。
だけど、それを気にしすぎていたからか、
はたまた、人の気持ちがわからないのではなくママの思う通りに動けていなかっただけなのかはわからないけれど、
周りの人に、他人のことを考えすぎじゃないか?優し過ぎるんじゃないか?と言われるようになった。
専門学校に入ってから1番趣深いなと思った悪口は、「ちゆみって、人のこと褒めすぎててどう返して良いかわからなくってウザいよね」だ。
いとをかし。
高校生くらいのときかな、
覚えてないけど
私の中で、良いところはどんどん伝えた方がいいという気持ちが浮かんだ。
自分が褒められたくて褒めてる訳では全くない。(もちろん褒められるのは素直に嬉しい😊)
だって伝えられなくなって消えてく言葉なんて勿体ないでしょ。
好きなら好きって言った方が絶対いいでしょ。愛は愛を持って伝えたいでしょ?
でもそれは相手の立場も考えて言わなきゃだから難しいのだろうけど、人間関係の1番重要なのはそこだよね、、、
なぜか年をとればとるほど自分に「共感力」が強くなってきていると感じる。
大抵なら
いろんなことをもっと流せるようになったり、大切とそうじゃ無いを分けられるようになるのだと思うけど、私は真逆で。
小さい頃はドライで、どんなに泣けると言われる話を聞いても泣いたりなんてしなかったのに、
今じゃ誰も泣かないようなところで
勝手に涙が出てきてしまう。
こないだも弟が見てたポケモン映画(きっと去年の)で
サトシがピカチュウを守り消えてしまうところでボロボロに泣いて笑われたし、
今は毎週、グッドドクターと透明なゆりかごで泣いている。
泣きたくなくても泣いている。
だから共感力については自覚がある。
自信はないけど。
それは人の気持ちを考えるにつながる。
もちろん全部わかってるわけなんて120%ないし大切な人になればなるほどわからなくなることの方が多い。親友とか。でも自分なりのわかるで分かりたいと思う。諦めたくない。
だけど、こんなのを共感して欲しいってのはあんまり思わない。なんでだろう。
人が思うより強い光でありたい。
明るい光でありたい。
綺麗でいたいと思うから、綺麗なものに触れたい。だから選んだ今の道。
私は底抜けに根性の女だ。
根性論が大好きだ。
だからって根性論を好きになれとか全く思わない。理性的な私の部分は根性論を否定してる。
人には多面性がある。
わかると思うわかるはその見せてもらえた部分についてだけだ。
叶えられるのは頑張ったことに対してだけだ。
例えば「痩せれば綺麗になる。」というのも痩せるためにしたことが綺麗につながっただけで痩せたからといって綺麗になるわけじゃない。
ご飯を抜けば綺麗になるか?
ご飯を抜けば痩せられることもある。
というか物理的に痩せるだろう。
でもそれが綺麗かと言われると別の話。ということ。
痩せるために運動して食生活を変えたら健康になって、
肌やスタイルが変わって綺麗になっただけ。
そうなると他の部分も綺麗に見せようと頑張る。
他の部分にも結果が出る。
当たり前のこと。
頑張ってないことに結果が出るわけがない。
結果を出そうとしないと結果はでないし、
ワンチャンのプラスアルファなんてまぐれで脆い。
こんなに頑張ってるのに幸せになれないみたいなのってなんか違う。頑張ってることにしか結果は出ないから全部がうまくいくわけない。全部上手く行きたいなら全部頑張れよって思う。
笑顔の周りに笑顔が集まると思ってる
批判すれば批判が返ってくる
悪いことした分だけ悪いことが起こると思うし
いい事と悪いことは人生でフィフフィフだと思ってる。
でも全部反対のことも考えるし思ってる。
だけど私はみんなに嫌な思いさせて生きるなんて絶対に嫌だから、まぁそれは自分が傷つきたくないだけなのかもしれないけど、
できるだけ明るい光でいたい。
外ではニコニコする。
人の良いところはいいねって絶対言うしみんなの良いところ絶対知りたい。
友達にドン引きされるけどどんなお店の人にもどうもーって言う、だって自分はありがとうって言われたらすっごく嬉しいから!
でんぱ組のえいたそばりに昔より明るくなった。ポジティブかと言われれば違うけど。
でも、その明るさも一生懸命さも、光が強すぎると影も濃くなる。し、逆光で見えなくなる。
光りたいと思わない人たちと同じ光にすることができない。
逆に言うと昔はできたのだ。ドライで共感力がなかった頃の方が。
引っ張り上げるなんておこがましいことをしたいわけじゃないけど、温度の違いは気持ちのライトの明るさの違いだなぁと思うことがある。
頑張れば頑張るほど、他の人たちとは相違する。相対する。光を強くしすぎると見えなくする、それが感じられる。また明るくする。暗くなる。
就活してるとそう思えるの。
私が意志を持って動けば動くほど
意志を持たなかった子たちが暗くなる
引っ張られないように明るくなると
もっと暗くなる。
自意識なのかもね、と思うけど。
自意識にならないと周りも見れないよ。
すぎるのはどうかと思うけどね。
それでも私は強い光でいないといけない。
そうでなければならない理由もある。
いつか話すね。多分。全然逆方向の話だけど。笑
これは決意だ。忘れてはいけないことを忘れないために思い直した決意だ。
ねぇ、こんな人、見たことある?
私はない。
なんでなのかな、なんで私みたいな人って私の周りにはいないのかな。
こーいうひとはこーいうひとです。みたいな奴、あるじゃん。絶対に裏切ってあげるよ。
おうし座のAB型の左利き、それだけでそんなにおんなじ人っていないのに、こーいうひとってあーだよねみたいなの、絶対当てはまれないの知ってる。
だって私は私だから
だから私もみんなにそれ当てはめるのやめる。
みんなはみんなの人生だもん同じ道なんて歩いてる人いないんだし。
一緒に光りたいね。
光れなくてもいいよ私が照らすから。
光になる力が欲しいよ。自家発電できなくはないけどさ。
ほんとは弱いんだ、でも弱さだけじゃ生きていけないからもう見ない。もう捨てた。
毎朝、朝に絶望して天井が嫌いになるのはもう終わりにしたい。
ゴミはゴミ箱に入れてたけどゴミステーションに出しましょう。私はもう私でいていいよ
汚れたままじゃ光れない。
愛は愛だ。光は光だ。
みんなと同じになりたいです
何も語らず。
でも、私は私で。
だから、
次の扉を開きたい。