君は悪魔か少女になって

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心が洗われる


私がディズニープリンセスの中で一番好きなプリンセスは、アリエルです。
なぜかはわかりません。
物心ついた頃から1番惹かれていたのがアリエルでした。それだけです。理由なんて。

もちろん今はどのシーンのどこが好きだとか、あります。でも、そう言うことじゃないんですよ、上手く説明できないけど。





愛や恋に理由をつけるのをやめたらいいんじゃないかなっていろんな人を見てて思いました。


身体を重ねたから、愛だとか
付き合っているから、愛だとか
あの日目と目があったから、恋だとか

でも人間、なぜ?と言うものが気になってしまう物だよね、そうじゃないと安心できないし、理由がないものなんて不安定でしかない。


歳を重ねてついた力なんて、たかが知れてる



スペックとか容姿とか自分にどう利益をもたらすのか、とかそう言う打算的な考えをしてからじゃないと進めなくなったのはいつからだろう。


失敗しないように、無駄な遠回りをしないように。間違えたら死ぬのか?ってくらい臆病になっただけだ。周りも。

それは、昔からかも知れないけれど。


よく考えたら、もっと義務教育の頃とかは
好き なことに対して何も考えてなかった気がする。正確に言えば、その時の私なりの頭で考えていたんだとは思うけど、今の観点とは違う視点から見て考えていた。

それは、生活に責任がなかったからかもしれない。
でも、好き に素直だった。


好き だから伝える




好き だからということが理由で
1番の動機で。



だけど、今は、好きの前に明確な理由がないと踏み出せない人が多すぎる。
それは私もなのかもしれないけど。わからん。


クズの本懐」という漫画に

興味のない人から向けられる好意ほど、気持ちの悪いものはない

という趣旨のセリフがある。



これを読んでいた高校生当時、私は、「モテる女の子ってこんなこと思ってるのかぁ、人から向けられる好意が気持ち悪いって思うんだなぁ」なんて呑気に考えていた。

だけど、今になると、そういうことを言ってるんじゃないと思う。


興味のない人から向けられる好意そのものが気持ち悪いんじゃなくて、興味のない人から告げられた好意が気持ち悪いんだと思う。


興味の無い人=その人にとっては視界にすら入ってない人 なのに、
好意を告げるという行為自体が
まず必要なコミュニケーション(その人の生活コミュニティに登場し、相手を知るということ)をすっ飛ばしているし、
第1、相手の気持ちを考えるという作業すら怠っているのにも関わらず、名前のついた関係を求め、責任を持たせるなんてとんだ無責任だ。

それなのに、望みがあるという考えに至るその思考が理解できなくて気持ちが悪いし、その責任のなさも気持ちが悪いのだろう。考え方と価値観の違いが、興味の無い人に繋がってくる。その違いはその行動を取った時点で埋められないような気がする。



しかし、しかしだ。
それでもどうしても好きなら、
全て捨ててもいいくらい好きなら、
そのすっ飛ばした過程を1からやり直してでも、その人の手を掴むべきなのでは?と思う。

価値観の違いは埋められなくても歩み寄ることはできるから。

本当に好きなら、好きで好きで苦しいなら、
君があの子と幸せになれる道を選びたいって思うなら、しっかり自分の気持ちに真摯に向き合って、責任を負って、踏ん張って、その人の手を掴むべきだよ、と思う。




それは女の子も、男の子も、みんなおんなじで
追われる方が幸せとか、追う方が幸せとか、知らんよそんなの、好きだから、で飛び込めよ。
あとのことは後から考えよう、上手くいくように道を開拓してこう。
ダメだって思ったら、私のところにおいでよ、
話ならいつまででも聞くよ。








親友たちに好きな人が現れたらしい。
素敵なことだし、綺麗なことだ。
この先
悲しんだり、辛い思いを一方的にしてるのは、見たくない。
だから、みんなの好きな人は、それなりの責任を持って、私の愛するみんなと接してね。



お互いが泣いたり、悲しくなることは必要だし大切だと思うけど、泣かせたり辛い思いをさせっぱなしにするんだったら、容赦ないからね。
私が攫っていくから。愛にも恋にも覚悟と責任が必要なの、それを背負って愛してね、


こんなこと、ここで言っても届かないけどさ。