【超歌手 大森靖子著 を読んで②】

前回から時間が空いてしまってますが、またちょくちょく感想文を書いていこうかなと思います☺️


おまえら全員全然まだ地球的には童貞

清純派として自分を切り刻んで売っている私のiPhoneは「ドウテイ」と打っても「道程」と出るだけで、「童貞」はかなり下の方にあった。

それはまぁはじめて靖子ちゃんを検索するとき、「おおもりやすこ」、と打つ時のような感覚だった。


そんなことはさておいて、このパート、
シンプルに靖子ちゃんの文章力に圧倒され、嘘でも本当でもとにかく靖子ちゃんの魅せる世界が素晴らしいと思った。




コミュ力高いのと、人と深いコミュニケーションをできるかどうかは別の話だ。

気持ちがささくれてしまうところまで
踏み込まなければ本当のコミュニケーションではない。

私は、これと同じ話を、気持ちがささくれてしまうところまで踏み込める友人としたことがあるのを思い出した。


彼女と話すと、いつも弾丸トークになってしまい、言葉が終わりを見せることはない。お互いのことを思いやりつつ、自分の大切を言葉にして説明する。逆に思いやらない優しさとか、妥協しない愛とか。彼女と話すことで私は浄化される一方で、ささくれる、というか、お互いに小さなかすり傷とかを負ったりもする。しかし、それがとても楽しい。土足でズカズカをいい距離感を保ちながら認められる。


しかし。そんなコミュニケーションを取れるのは彼女とだけだ。私、まだまだだ。


静かに終わりへと身を任すことを、生きるという動詞と私は認めないから、お前の景色に私を入れてくれるな。

この文章を、先日のサッカーW杯⚽️の日本対セネガル戦で思い出した。

生き延びる為の選択ではあったと思うし、それはそれでよかった思う。
でも、活きてないのではないかと感じた。



生き延びるためには、多数の人が、静かに終わりへと身を負かそうとしていると思う。
学生時代の学級会、
2つ前の人の間に割り込んでいた人、
古本屋の自動ドアで鳴り響く防犯ゲート。

考えなければ、余計な感情を持たなければ、その時は終わる。

しかし、その余計だ、と切り捨てて殺した感情そのものがきっと自分なのだ。

君の大切を大切に守っていてほしい。
生き延びるために自分で自分を活かしてほしい。


君の感情は君にしか持てない大切なものだよ。


殺さないで。










⚠️今回このように感想文を書くことについて、正直、「都合よく好きな一瞬を永遠に」してしまうのではないかと、正直、不安ではあります。このシリーズのすべての文書は私個人の意見であり、靖子ちゃんの意見ではありません。こんなこと、書かなくてもファンの方なら寄り添っていただけるとは思いますが、、、